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デジ(タ)ル卵

最近、チェーンの居酒屋へ行くと、備え付けのタブレット端末で酒やつまみを注文するようになっている。インバウンドの客も多いのか、日本語だけでなく英語や中国語に表示が切り替えられるようにもなっている。これで英語や中国語のできる店員がいなくても、お客は言語を切り替えて注文が出せることになる。

人出不足の常態化した店内では店員は呼んでもなかなかこないし、注文は間違えられる。やっと来た店員も日本語が満足に通じなかったりもする。今は人件費がもっとも高くつく時代でもあるし、こういったシステムになるのはもう時代の流れだろう。テーブルにタブレット端末が置いてあってそれで注文するというのを最初に目にしたときは戸惑ったが、すぐに慣れた。若い人はタブレットを次々手渡しながら、わいわい言いながら、こうした注文自体を楽しんでいるかのようだ。

しかし慣れない人も多い。とあるタブレット注文型の居酒屋で、老人の団体がぶつぶつ不平を言うのを聞いた。一応、店員もいるのだが、それこそお運びの方に手間を取られて、なかなか注文取りにまでは手が回らないから、老人達はタブレットと格闘せざるをえなくなっていた。相当に難航しているようだ。普段からタブレットのタップやフリックに慣れていないと、「何がなんやらわからない」ということになるだろう。あきらめて、店員が来るまで待つことになったようだが、もう爆発寸前である。同情はするが、これはもう慣れてもらうしかない。既に、若い労働力が無限に使える時代ではない。この老人達、爆発しなかっただけましとしよう。こういう店で、サービスが悪いと怒鳴り出す老人は本当に勘弁して欲しい。

逆に興味深い話を聞いた。若者達は、もうタブレットでないと注文ができなくなっているというのだ。メニューに載っている漢字がそもそも読めないらしい。たとえば出汁巻き卵。これを読めない若者がいるというのだ。

こういうとき苦し紛れに、あるいはなんの屈託もなく「デジル卵」と読まれてしまう。

「デジル卵」と言われてしまったら、店員は相当に勘が鋭くないと「出汁巻き卵」のことだとはわからない。当然、注文を聞く側も混乱するから、話がとんちんかんなことになってしまう。それに対してタブレットだったら、各メニューの画像がそれぞれ掲載されているから、ししゃもが欲しければししゃもの画像をタップすればいい、出汁巻き卵がほしければ、出汁巻き卵の画像をタップすればいい。そう考えるとタブレットの方が注文を出す方も、受ける方もよほど便利だし、どちらにも親切だ。また、インバウンドの人も英語や中国語を話す人ばかりではない。最近の3000万人というインバウンド観光客にはインド人、タイ人、イラン人といったラテン文字も漢字も使わない国からの人々が増えてきている。こうした人々全部の言語に対応するタブレットを作るよりは画像1枚あげておく方がよほど簡単だし、誰にもわかりやすい。ビールの画像は誰でもすぐわかる。出汁巻き卵も、おそらくは写真でみれば間違えないだろう。

結局、タブレット注文は言葉ではなく画像で意志を疏通させることを可能にする。

「ビールに枝豆、出汁巻き卵」と言うだけで、意志を通じさせられたのは日本には日本人しかいず、それも日本人全員が漢字を読めた時代でしか通用しない昔話である。

これを日本人の退化ととるか、画像とIoT文明の勝利とみるかだが、私はこれはもうIoTの勝利だと思う。これから日本はどんどん人が少なくなる。移民を受け入れたって追いつかないだろうし、移民にこと細かい日本語のニュアンスを伝えるのはもうあきらめた方がいい。それより、世界共通の画像による共通意味理解をIoTの機器を使って可能にすればいい。これはもうデジタル文明の偉大な勝利といっていいのではないだろうか。画像とIoTで、意志が通じていけば、本当に世界はまた豊かな時代となるのではないかな。

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