縦書きの本質
3年ぶりにワシントンのNLMへ行ってきた。学術情報、特にオンラインジャーナルのXML規格であるJATSに関する会議JATSConへ参加するためだ。JATSConは3年ぶり、前回はとにかく日本語をJATSに載せたと言う事実だけを報告しにいったのだが、そのときの反応は私が期待したほどではなかった。XMLに関する技術的な発表が多い中、アジアの言語のJATS化といっても、アメリカの聴衆にしてみれば、何を言っているのかわからない、なにが画期的なのかわからないというのが正直なところだったようだ。
ただ、その後、日本でJATSCon Asiaを開催したり、中国や韓国でもアジア言語のオンラインジャーナルに関するシンポジウムに参加したりしている間に、事の重要性が伝わったらしい。この界隈での知り合いが増えたせいもあるが、今回は結構発表前から声をかけられ、はじまる前には座長から3年前にも発表があって期待している旨のコメントがあった。
今回のテーマは縦書きである。縦書きの論文をJATS化してオンラインジャーナルとして横書き掲載した経緯について発表した。縦書きについてはすでにCSS3やEPUB3でも可能となっているし、日本では今更というテーマでもあるが、JATSでは話が違う。JATSは文書の構造を重要視する規格で表現についてはあまり配慮しない。つまり、どのように画面上で表示されるかはあまり関心がない。画面上の表現は、デバイスによっていくらでも変わりうると考える。その点EPUBなどによるリフロー型の考えに近いが、より過激にデータベース志向といえる。
もっとも、JATSも
では縦書きはどうなのか。縦書きと横書きで意味の違いがあるか、構造的に差異がでるか。これに答えられなければ縦書きは単なる文書表現の問題であり、JATSの規格には関係ないことになる。縦書きであろうと横書きであろうと、JATS XMLで表現された元の文書を縦書きで読みたければCSS3で縦書き表現して読めばいいし、横書きのままでよければ普通のオンラインジャーナルとして、理科系の論文と同じプラットホームで読めばいい。
ただ、実際に縦書きをJATS化してオンラインジャーナルにしてみてわかったのは、それほど単純ではないということだ。
まず、現在の日本では縦書き対応のオンラインジャーナルというものは存在しない。そもそも人文系論文をオンライン化しようという試みすら多くない。従って縦書き論文もJATS化して横書き表示せざるをえない。縦書きの横書き化だ。JATS的に言えば、縦書きであろうと横書きであろうと構造に変わりがないのなら、ここは自由に縦・横変換しうる。
ここでただちに行き詰まるのは数字の問題である。縦書きの漢数字を横書き英数字に変換しなければならない。表現の問題だが、データベースとしても重要な問題だ。巻号ページという文書を特定するのに重要な情報は英数字でなくてはならない。
だからといって一括置換で漢数字を英数字に置き換えるだけではおかしなことになる。自分の名前を「1郎」と表記されたら、一郎君は怒るだろうし、「念仏3昧」と書かれたら、仏教関係者はその文章を読むのを辞めてしまう。
これは一例だが、縦書きと横書きには本質的な構造的差異がある。だからこそ、「縦書き」をJATSの中でも記述できるようにして欲しい。とまあこういう主張を行ったのだが、質疑応答がなかなか聞き取れず、反応は正直よくわからない。ただ、文化の多様性については敏感なお国柄のこと、一顧だにされないという感じではなく、むしろ「具体的提案が欲しい」という感じだった。引き続きアジアからは声をあげ続けていくしかなさそうだ。
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