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先祖がえり、あるいは校正ゾンビ

「いとしの印刷ボーイズ」という漫画がおもしろい。印刷会社の営業を主人公に、印刷会社でおこるさまざまなトラブルを漫画にしたものだが、業界人にとっては笑えると言うより、はっきり言って泣ける。業界あるある漫画として秀逸。是非、一読をお薦めする。

さて、その中にDTPのオペレーターが先祖返りをやらかして、会社中で徹夜するはめになるという場面があった。「やってるなあ、まだあるんだ」と懐かしく思った。

そうこの漫画で言う、先祖返りとは、一度校正で直したところが、また寸分違わず復活してくるという現象だ。たとえば、初校で間違いを指摘して、再校でその間違いが直っていることを確認したにも関わらず、三校では再校で指摘した間違いは直っているのに、初校で指摘した間違いが寸分違わず復活してくるという奴だ。その不気味なこと不気味なこと。気がつけばよいが、普通三校では再校の訂正だけを確認し、初校の間違いは確認することもないから、初校段階のものが世にでてしまう。これがおきると、もう印刷会社の営業は平謝りするしかない。

この現象は、校正段階で、初校、再校とそれぞれのファイルを残すことからおこる。初校ファイルを訂正して再校ファイルができるわけだが、三校の際、再校ファイルではなく初校ファイルに訂正を加えるとこの現象を起こす。校正のたびにファイルを上書きしていけばこの現象は起こさないはずだが、あとでクライアントから、「やっぱり元のままで行く」とか「前はどうなってたか調べて」というような依頼があるから現場も営業も残したがる。コンピュータではコピーを残すことは造作もないし、昨今のコンピュータの外部記憶容量(ハードディスクなど)は莫大なので、校正のデータぐらいは軽々とはいってしまう。だからとにかく過程も含めて全部残すわけだが、これが裏目に出る。

この現象が知られ出したのは印刷業界が初めてコンピュータに真っ正面から取り組んだ電算写植導入のころだ。活版や写植で育った営業や校正者にとってはとんでもなく奇怪な現象と思われたようで、当社ではこれを「校正ゾンビ」と呼んだ。誤植を殺しても殺しても正確に元のままの間違いが復活してくる、その現象があたかも校正の世界に徘徊するゾンビのようだったからだ。ただこのころは外部記憶容量は小さかったので、ファイルを意図的に残したというよりシステムが自動バックアップする機能をもっていてそのことを理解していなかったら生じたものだった。だから、いつのほどにかなくなった。・・・はずだった。

そうですか。まだまだやっているんだなあと漫画をみてほほえましく思っていたが、実はこの手の事故は形を変えて今でも結構おこっているのだ。たとえば毎年毎年、ほぼ同じ報告文書で昨年のものに上書きして今年の修正だけを記入していくというタイプの記事の場合、去年の原稿に修正上書きすべきところ、一昨年のものに修正上書きすると昨年の訂正がきれいさっぱり失われて、一昨年の物にすりかわってしまう。上にも書いたとおり、この手の間違いは発見しにくい。こうい場合の責任は校正見落としにあるのか、ゾンビファイルを使用した側にあるのか。これはもう争っても勝ち目はなかろう。

もちろん今では、どこが変化したか、余計なところを修正していないかを比べて、違っていたら警告を発するソフトというものも存在する。冒頭の先祖返りの例だと、再校と三校を比べて変化したところを検出すれば一発で見つかることになる。

それよりこの「いとしの印刷ボーイズ」に出てきた技が面白かった。立体視である。同じような図形を並べて、右目と左目で別々に見る。この時、脳はこの図形の違いを視差と認識し、それが立体であるように見る。従って、三校と再校ならべて立体視すれば、違っているところだけが立体視で浮かび上がる。私は一時立体視に凝ったことがあるので、立体視は得意だが、なるほどこれを校正に応用するというのは気づかなかった。こんどやってみよう。

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