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転向しました

白状しなければならない。

私は、出版印刷いわゆる頁物の印刷屋として、電子書籍やオンラインジャーナルに興味をしめしつつも、「最後は紙の方が読みやすい」と言い続けてきた。しかし、もうこの私ですら「紙よりも画面」に転向せざるをえないようだ。

実は、今回ショッキングな体験をした。紙の本を読んでも、頭に入らなくなってきているのだ。よく、昔ながらの本好きが「紙の本でないと頭には入ってこない。読みにくい」というのを聞いていた。もちろん私もそうだった。しかし、先日、久々に読みたい記事があって、週刊雑誌を買って読んだのだが、これになにか違和感を感じるのだ。段組みがあって、写真の食い込みがあってという、伝統的な雑誌組版に煩わしさを感じて、頭に入ってこない。

スマホとタブレットが情報収集の中心になって久しい。いまや週刊雑誌などというものは今回のような例外をのぞけば、まったくと言っていいほど読まなくなった。私の場合、そのきっかけは東日本大震災だった。地震や原発事故に関する不愉快な記事が増えたこともあって、段々週刊雑誌を読まなくなったのだ。かわりにスマホやタブレットで、ネットを渉猟し、好きな記事を読むことが増えた。紙の新聞も、朝、紙版を読む前にタブレットで新聞のサイトを見て、面白そうな記事はあらかた読んでしまうので、ほとんど読まなくなった。紙より画面で読むことに慣れてしまうと、むしろ紙に違和感を感じるようになるのだ。

つまり、「紙の本でないと頭にはいってこない。読みにくい」というのは、紙の本自体の優れた特質ではなく、昔から紙の本に慣れ親しんでいたからそのように思えているにすぎないのだ。そして、その「慣れ」とは還暦をすぎた私が数年でその習慣を変えてしまう程度の「慣れ」でしかない。以前からこれからの子供達は本より先にタブレットやPCに触れるので、本より画面に慣れ親しむようになるだろうとは言われていた。しかし、この私のような本にどっぷり浸って、成長し、本とともに社会生活を送ってきたような人間でさえ画面に慣れると紙の方に違和感をもつようになってしまうのだ。

これが社会全般の傾向であることをつくづく思い知らされるのは電車の中だ。紙の本や雑誌を見ている人が、ほとんどいなくなった。みなさんスマホとにらめっこしている。5年ぐらい前までは若い人はスマホばかり見ていても、中年以上は本や雑誌というような棲み分けがあったが、今やどの年代もスマホを見ている。逆に、本を読んでいる人を見ると「珍しい」と思うようになった。

もちろん、スマホの場合、普及したのは画面で読むことにみなが慣れてきた事とともに、その利便性が本より遙かに勝るからだろう。世界中のどんな情報にも一瞬でアクセスでき、テレビにもゲーム機にもなるスマホは確かに便利なことこの上なく、一度手にすれば離せなくなってしまう。

この先、どうなるか。ミスタ-電子書籍の植村さんが言うように、自動車が発明されて普及しても、馬車は滅びていない。紙の本も滅びない。ただ、滅びないというだけで、圧倒的に数が減れば、産業としての意味を喪失する。

漫画はすでに売上ベースで電子出版が紙を上回ったという。私も漫画単行本いわゆるコミックスには子供の頃から親しみ続け、何十巻にもなる単行本を本箱に並べるのは楽しみだった。が、もう今の子供にその習慣はない。単行本を持っておかないと、読めなくなってしまうという恐れを感じないのだ。いつでも、どこでもどんな本でもネットで読める。しかも最近問題になっているように海賊版サイトなら、只で。

この時代にあって、出版印刷業者はどういう戦略があるのか。それは今後の出版印刷市場の縮小速度いかんにも関わってくるが、存在する限りあらたな工夫で生き続けるというのが、大部分の業者の選択のようだ。もしくは、商業印刷やパッケージ印刷に活路をみいだすか、オンラインビジネスなど、大胆に新たな業態へ変革するか。永遠に悩み続ける2018年。

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