« 2016年10月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年3月に作成された記事

ポケモンGO

 とにかく大評判なのである。これをやらないのでは経営者として時代感覚とずれてしまう。で、ある日、街でSNSを見ていたら、前からスマホを見つめながら歩いてくる人がいる。「ははあん、これがボケモンGOか」かと思った瞬間、私はまだやっていないことにあせりを感じた。「やらなければ」と思えば、あとは簡単。なにせ、スマホのストアから無料アプリをダウンロードして、インストールするだけなのだ。最初は位置情報の根本であるGPS機能をオンにしていなかったり、スマホゲーム自体に慣れいないので、とまどったこともあったが、コツがわかれば簡単。

 ポケモンを探して歩き出すと、ただちに見つかった。スマホの中にモンスターがとびだしてくる。ARという技術を使って、実際の景色と合成されるので、あたかもそこにモンスターがいるように見える。もともと幼児から小学校低学年向けのゲームだからモンスターのキャラクターはかわいいが、目の前の景色の中にでてくると臨場感が違う。これをスマホを操作して捕まえる。捕まえると、スマホの中に今まで捕まえたモンスター達が表示される。これから、そうしたモンスターを育成したり、戦わせたりとまだまだ楽しい仕掛けがあるようだが、それはこれからおいおいと。

 結論。これは大人まで夢中になるのは無理はない。われわれはインベーダーで青春をすごしたテレビゲーム第一世代である。遊びと言えば麻雀でもパチンコでもなくTVゲームという世代の草分けでもあり、こうしたゲームにもそれほど違和感はない。面白いものは面白い。ただ、さすがに世代的にポケモンGOの元になったゲームボーイ版のポケモンは経験してこなかったから、育成や戦闘といったところの原理がいまひとつわからない。これらがすでに常識として組み込まれた世代なら、さぞ興奮するだろう。

 ポケモンGOは人工衛星からのデータで自分のいる位置を正確に割り出すGPSと、コンピュータの仮想世界と現実世界を組みあわせるARを使ったゲームである。よくよく考えると子供の遊びに使うにはもったないともいうべき超ハイテク技術を駆使している。

 実はARというやつ、印刷業界ではこの新技術を味方につけようと、色々な試みが行われてきた。印刷関係の展示会などでもよくお目にかかった。カードゲームをやりながらカードをスマホで写すとモンスターがカードの上に立ち上がるといった類いのシステムだ。印刷業界としてはこのカードの印刷はもちろんのこと、これと組み合わせるARを市場に売り込むことに未来をみていたわけだ。しかし、正直言って印刷業界からヒットは産みだせいないまま、ポケモンGOという大ヒットが他所から生まれた。

 つまり印刷とARの組み合わせではヒットを生み出せなかったが、GPSとARの組み合わせでは大ヒットがでたことになる。もちろん、ただ単にGPSとARを組み合わせただけでヒットしたわけではなく元祖位置情報ゲームINGRESS以来の位置情データの蓄積、元々のポケモンというコンテンツそのものの人気も大きく寄与しているとは思う。ゲームは時代時代の最新技術を貪欲に吸収しつつ、次々に才能をえてあらたな文化を生み出し続けて
いる。

 逆に言うと印刷業界および出版界は、漫画や小説はじめ莫大なコンテンツの蓄積があったにも関わらず、これをARとうまく結びつけられなかったことになる。これは大いなる反省点だ。たぶん、これからポケモンGOの二番煎じ的なゲームは山ほどでてくるだろう。漫画のキャラがスマホの中で暴れ回るような。

 ただ、今印刷業界にとっては、本当に必要なのは、二番煎じではない。なにか根本的に違うあたらしいもの。今
はスマホごしでないとARが使えないが、これを、紙の表面に特殊な加工をするだけで、ARとなるようなものを作るというのは・・できないかな。

魔法の社長

 私事ですが、実は社長になりました。このコラムの題名が「若旦那奮闘記」であったのは本当に「若旦那」だったからだけれど、コンピュータ印刷技術を使って業界で暴れる「若手」という意味をこめていた。50歳を迎えたとき、「さすがにもはや若旦那でもないだろう」と現在の題名「元若旦那のIT奮闘記」という名前にしてもらった。このいささか生煮えな名前で、それからさらに10年、やっと本当の「旦那」になりました。ただ、「若旦那」という名称は、私のトレードマークになっていて、とりあえず、この題名であと1年は続きます。

 振り返ると、30歳前後で電算写植というものとともに、印刷業界に忽然とあらわれた私も含めたコンピュータ使い達も、もう60歳になったわけだ。我々の世代、けっこうコンピュータには苦労した。初期にはプログラムを書かないと使えなかったし、ありとあらゆるトラブルも経験させていただいた。だから、結構コンピュータのハードにもソフトにも詳しいのだ。たとえばSEDとかAWKといったソフトを使って文字情報処理をやっていたのだが、もう今はこんなことが出来る人も多くないだろう。当時、コンピュータに数値処理だけではなくて、文字処理を行わせることができるようになって、さまざまな文字列変換を一気に行って、原稿中の漢数字を一気に英数字に置き換えたり、旧漢字を新漢字に統一などという処理が一瞬でできた。活版や手動写植しか知らない上の世代に良くいわれたものだ。

「まるで魔法の様だね」

 そう言われると得意気に鼻をうごかしていたのを思い出す。コンピュータ使いは知らない人から見ればまさに魔法使いなのだ。でも、当時はそれなりに、数学や情報理論を勉強したからこそ使える魔法だった。つまりコンピュータという魔法を使うには修行が必要だったのだ。

 そう考えると、今のスマホなどというのは魔法の「よう」ではなくて、魔法そのものではないか。タッチパネルをたたくだけで、いや、いよいよ音声認識機能が実用になってきたから、スマホに語りかけるだけで、なんでも言うことを聞き、おのぞみのまま、音楽を奏でたり、調べ物をしてくれたり、電話をかけてくれたりする。まるでアラジンと魔法のランプだ。

 そういえば、ほんの十数年前のハリーポッターの映画では本の中の図が動きだすという場面があったが、これは魔法としてだった。だが今や、電子書籍の中で動画が表示されるなどというのは、別に珍しくもない。
 こうなるとハイテクなのか、魔法なのか区別をつけることがおかしいのかもしれない。なまじコンピュータの原理なんて知らなくても、動かすための呪文さえ知っていればいい。それは魔法であろうとコンピュータであろうと使う分にはおなじだ。

 ただ苦しいのは、みんなが魔法を使えると、魔法を使うこと自体は付加価値でもなんでもありゃしない。みんながコンピュータを使えると、コンピュータを使うこと自体は付加価値でも何でもありゃしないのと同じく。

 でも、付加価値がないからしょうがないと居直っている場合じゃないよ。社長さん。魔法は使えるのはもう解っているんだから、その魔法を使ってあらたな付加価値をのせればいい。ツイッターもfacebookも別に新しい魔法を作ったわけではない。コンピュータネットワークという人と人をつなぐ魔法を使って、ソーシャルネットワークサービスという新しい付加価値を創造したわけだ。それが魔法のように金を産んだ。

 今は社員はみんな魔法使い。それを無駄に使うか、あらたな付加価値を生みだせるか。それだけは社長の力量であって魔法ではない。コンピュータという魔法はあくまで道具。それで何を作るかは社長次第。わかってはいるけれど、ポケモンGOみたいな新製品を作る魔法を特別にだれか伝授してくれないかね。

還暦の往復ハガキ


 私事、私、誕生日を迎えて60歳、還暦を迎えた。月日の流れるのは速い。ところで年齢はみんな等しくとるわけで、サラリーマンになった同級生もみな60歳。今年は定年だとかまびすしい。それならばと、みんなが還暦と定年を迎えたところで、同窓会をやろうということになった。

 こういうとき、地元に残った自営業者が幹事をやるのは当然の成り行きで、該当者筆頭の私が名簿整理と案内状の送付を引き受けた。でもこうした作業も昔に比べて本当に楽になった。既存の同窓生名簿をもとにEXCELを使って、送付リストを作成し、ハガキ作成ソフトに落とし込めば、一気に案内状ができてしまう。
 さて、ここで考えた。いっつも面倒なのは、ここからだ。往復ハガキにして返事をとっても、そこからまた出欠をEXCELに書き写さねばならない。それならば、いっそ、入力フォームにしてインターネットから直接出欠を入力してもらえばいいのではないか。そうすれば、出欠名簿は自動でできるし、事後の問い合わせもメールベースでできる。

 さいわい、入力フォームは今クラウド上で無料提供しているサイトがいくらでもある。ただ、同級生のメールアドレスがわからないので、とりあえずはフォームのURLを書いた案内ハガキをだすことにした。もちろん、URLを入力するのが苦手という人もいるだろうから、URLをQRコードにして案内ハガキに刷り込む。こうすればQRコードをスマホで読み込むだけでフォームにアクセスできる。これは完璧。すばらしいアイデアと幹事にも自慢した。
 だが、結果は諸氏ご賢察の通り、往復ハガキの時より、返事が少なかったのである。還暦同窓会だからと企画段階ではけっこう盛り上がっていたのにである。そのうちハガキが届きだした。「返事がしたいのだけれど、パソコンもスマホも使っていないのでハガキで出します。ごめんなさい」というものだ。反省しきり。かならずしも、みんながパソコンやスマホを使っているわけではない。

 私たちの世代は、大学のときにすでにパソコンがあり、社会に出てからもそれを使い続けたはじめての世代だ。その後もコンピュータとネットにはまりこんで還暦にいたった。だから、当然同世代のみんながそうだと思っていたが、意外にそうでもない。メールとフォームの方が便利というのは思い込みにすぎなかったのだ。

 それに、ハガキの通知でフォームでの入力を促すというのはむしろ面倒ということもある。往復ハガキだと往信を読んで、ペンを取って返信を出すまでが一連の動作でできるが、フォームだと、案内ハガキを持って、パソコンの前にすわり、URLを打ち込む手間がいる。それをしなくてもすむようにQRコードも用意したわけだが、慣れていない人にとっては操作法から覚えなければならず、助けになっていない。このことを逆から証明したのが、メールアドレスがわかっている人にフォームのURLをメールで通知した場合、返信率が高かったことだ。

 もうひとつ感じたことがある。恩師にはさすがに高齢の方が多く、往復ハガキで出欠を確認したのだが、数多くの返信ハガキにご家族からの「恩師ご逝去」の通知があったことだ。我々が還暦と言うことは、その恩師の世代はすでにかなりのご高齢で無理もないことではある。

 しかし、もしも往復ハガキではなかったとしたら、ここまで御消息がわかっただろうか。ご家族はより対応できず、おそらく、単にフォームへ返事がないだけになっていただろう。紙のハガキは私信とはいえ家族も見ることができる。ご逝去された方へなら、むしろ積極的に故人への私信も読まれる。メールやフォームはあくまで個人を対象とし本人しかつながらないツールたが、ハガキは本人だけでなく家族もつないでいく。

 紙の新聞をみんなで回し読みする家族の絆といったものにも通じるのかもしれない。

« 2016年10月 | トップページ | 2017年5月 »