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ベントン彫刻機の謎

 出版学会の見学会で大阪のモトヤの資料館に行ってまいりました。印刷業界人なら誰もが知っているように、モトヤは活字販売の老舗。モトヤ活字というと当社もずいぶんお世話になりました。そのモトヤさんも、1996年に活版から撤退したというから、もう20年になる。当社の活版廃止はそれより少し前の1994年。活版は20世紀の終わりとともに日本から消えていった。2000年紀(西暦1001年から2000年)最大の発明と言われた活版印刷術もまさに20世紀とともに姿を消したわけだ。現在、活版は美術品や文化財的な残り方はしているが、産業としては終わっているといっていいだろう。

 展示されている活字の母型や鋳造機など、私にもなじみが深い。入社したころはまだ活版が現役だったからだ。歯車とてこで動く油にまみれた機械と大勢の熟練の職人さん。それが私の入社した頃の印刷会社の光景だった。モトヤさんは、その上流工程に遡り、活字だけでなく、その元となる母型を作られていたようだ。
 活版展示の正面にあったのが、そしてベントン彫刻機である。

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「ベントン彫刻機」。その名前は知っていた。当社にもベントン彫刻機の原版というものが残してあるからだ。なくなった先代社長が活版をやめるときに、これは保存しておけと言い残していたものの一つだった。5センチ四方程度の亜鉛の板に、文字が正像陰刻で刻まれている。ただしごく薄くである。元々原版の亜鉛板が薄いから、そんなに深くは彫り込めない。原版自体は手で刻むのではなく、手書き文字を腐食法で転写するらしい。

 父からはこれを「ベントン彫刻機」にかけると、この亜鉛の原版の文字が縮小されて真鍮の母型が彫刻されると聞かされていた。しかし、どうやって実際に縮小して彫刻するのかは謎のままだった。しかも、私は活版よりも電算の方に夢中だったから、それをあえて深く追求することもなかった。最近になって、活版が古き良き時代の本文化を支えたとして見直され、当社のミニ活版博物館にも見学者が来られるようになっても、ベントン原版は「これを元に母型を作った」程度の説明しかできなかった。

 ベントン彫刻機、それはあまりに巧妙な仕組みだった。大きな字の原版と母型彫刻部分はつながり、さらに支点で支えられている。上から支点、彫刻機、原版の順番で並ぶ。これで原版をなぞると、その動きがそのまま彫刻機に縮小されて伝わるというわけだ。この仕組みだと、彫刻機と原盤の位置を変化させるだけで、縮小率も変化させられる。父はこの機構をパンタグラフといっていたが、むしろてこと考えた方がいい。彫刻自体は高速回転する刃が削るようになっている。

 ベントン彫刻機の普及で一字一字手彫りしていた活字の原版を、紙に大きく手書きしただけで作れるようになったわけで、活字母型の生産性向上や書体開発などにも大きく寄与し、戦後の日本の印刷技術を大きく発展させたという。160409_0720


 そういえば、この戦後の同時期に発展することになる手動写植の数々は同じく大阪のモリサワさんの博物館に保存されている。活版と平版の違いはあれど、当時の印刷技術者は大阪で努力を重ねていたわけだ。

 その後、私の時代以降は、本欄でコンピュータ奮闘記・IT奮闘記で書き続けたように、印刷、ことにプリプレスは電子技術一辺倒になる。モトヤさんも今は電子フォントが事業の中心だということで、歯車とてこの時代は遠くになってしまった。

 もちろんこの博物館には、和文タイプや初期の電子組版機も展示されていた。こうした初期電子組版機は入社したてのころ、良く売りに来ていたのを思い出す。あれからもう30年たつのだ。そろそろ初期電子組版機なんていうのも、集めて研究しておかないと、ベントン彫刻機のように忘れられた機械になりかねないよなあ。

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