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2015年10月に作成された記事

創業150年

 わが社の創業は1865年でまだ江戸時代、幕末のことだった。今年が2015年だから創立150年を迎える。創業当時はまだ活版すらなく木板の書肆としてのスタートだった。それ以来、明治の10年頃に当時の最先端である活版印刷をご先祖が導入。活版印刷の会社として、以後100有余年間、京都で公官庁中心の地味な印刷会社として営業を続けてきた。150年続いたのは、公官庁中心にそれほど規模は大きくないが確実な得意先をつかんでいたことと、意外と思われるかもしれないが、技術的には進取の気性に富んでいたからだと思う。

 出版学には明治20年の壁ということばがある。江戸時代から続いていた書肆は、明治20年頃を境にほぼ姿を消す。書肆という形態は、出版社と本屋、印刷屋をあわせたような業態で、江戸時代以前は出版の機能分化は進んでいなかったのだ。これは西欧でもそうで、グーテンベルクからしばらくは書店と出版社、印刷会社は兼ねられていた。西欧ではこの分化が200年ぐらいかけてゆっくり進むが、日本ではこれが20年ぐらいで一気に進む。それどころか、明治以後に発足した出版社や書店、印刷会社にすっかりとって替わられるのである。

 その大変革期をよくぞ乗り切ったと創業者の曾々祖父に感謝するばかりである。活版に変わってからは浮き沈みはあったようだが、活版の中西の時代が続いた。その間も保守的だったわけではなく活字の自動鋳植機であるモノタイプに早くから取り組んだりしている。企業という奴、よほどの保守的な業界でもない限り社会の変化に対応していかねば続かない。京都には茶道具などでそういう極めつけの老舗も多いが、たいていの企業は時代の波にもまれて苦しんでいる。特に和装関係などがそうだ。創業150年どころか300年というような老舗でも倒産してしまうご時世だ。

 当社もしかし時代を読み違えた時期がある。父の世代が活版にこだわってしまったのだ。モノタイプは導入したが、これはあくまでも活版を前提とした技術革新であり、手動写植、平版印刷とも長く手をださなかった。私が家業に入社したのもモノタイプにコンピュータの出力をつなげるというプロジェクトの支援をたのまれたからだ。このあたりは印刷学会出版部刊行の「学術出版の技術変遷論考」に詳しく書きましたんでぜひお買い上げください。

 で、結局、我々の世代は活版に見切りをつけ、電算写植と平版に舵を切るわけだが、活版から一気に電算写植化平版化を行うというのは相当な難事業であり、こちらも若かったからいろいろと軋轢も多かった。それからもう四半世紀すぎたわけだが、いまだにそのころの負の遺産が残っている。もちろん無事に150年を迎えられたのはこの変革が成功した証しなわけで、中西印刷150年の歴史の中で木版の活版化に匹敵する大事業をやり遂げた世代だと自負している。しかし、それで終わりではなかったのはみなさんご存じの通り。私をはじめ、当時電算化に携わった多くの人が思っていたのは、電算化とは紙へ印刷するための手段が活版や写植から電算に変化したのであって、あとは数百年あるいは永遠に電算で製作した紙の印刷の時代が続くと考えていた。もちろん事実は違う。紙への印刷そのものが画面にとってかわられようとしている。

 それで、今は必死になってこの時代への対応を模索しているわけで、この20年も続いている連載もこの時代の会社としてのあり方をめぐる七転八倒を描き続けているわけだ。

 それにしてもなあと思う。一生の間に二度も大変革の時代に遭遇するとはなあ。いくら変化が早いとはいっても、当事者としてはいささか理不尽な感じもする。これから200年250年と我が社が続くとしても悲運の世代として長く語り続けられるかな。もちろんまずは200年にむけて何をやるかだな

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