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2015年1月に作成された記事

本が見つからない

最近はこのコラムに限らず、文章を書くことが多いのだが、書くためには読まなければならない。ピンポイントで資料として読む場合は別として、何が役に立つかわからないから、とりあえずどんどん読んで、とにかく知識として仕入れておく。細かいことまでは覚えない。書くとき必要になったら本棚前に行って件の本を探して、内容を確認すればいい。

 だから、必要なとき本がそこになくては困るわけで、私は基本的に本は買う。買って、手元に置いておく。それに重要だと思ったところは折ったり、線を引いたりもするから図書館から借りてすますというわけにはいかないのだ。

 そして、読んだ本はとりあえず執筆用パソコンそばの一時保存用本棚に置いておく。最近読んだ本は、書く際、資料として参照する場合が多いから、最近読んだ本ほど近くに置くというのは合理的なのだ。その後、半年か一年ぐらいで、永久保存用の本棚にお引っ越し願う。この方式だと最新の資料は確実に探し出せるのである。

 ところが、つい最近読んだ本のはずなのに探しまわってもでてこないということがあった。勘違いして永久保存用本棚に移行したかとそちらも探し回ったがない。ベッドサイドや家内の本棚まで行ってもない。

 おかしいな、俺も老化して痴呆が始まったかと思って、はたと気がついた。この本、電子書籍で読んだのだ。物理的な本としては出てこないはずだ。

 ここでわかったことがある。電子書籍で読んでも読書の記憶としては、まったく紙の本で読んだのと変わらないということだ。つまり本と言うのは、外見ではなくて内容なのだ。記憶の中では紙であろうが電子であろうが、読書体験としては差がない。記憶の中では同一のものと認識されている。

 そしてもうひとつは電子書籍読書記憶の減衰の速さだ。いくら内容としては同じと認識したといっても、紙か電子かを頭の中で区別できないぐらい電子版での読書体験が記憶に残っていない。つまり忘れてしまい易いのだ。一例だけだし、私の個人的な体験でしかないので一般化はできないとは思うが、これは電子書籍が物理実体がないことが一因ではないか。

 私の一時保存本棚はそれこそ毎日、本を出し入れするし、資料として本を探すために眺め回す。結局、最近読んだ本の背表紙を毎日眺めていることになる。これが重要なのだ。記憶は、重ねれば重ねるほど残りやすくなる。一度読んだだけではなかなか覚えられなくても二度三度読んでいると、だんだん記憶として定着し、最後には忘れなくなる。もちろん一時保存本棚の本の内容までは毎日読んでいるわけではない。ただ単に背表紙を眺めているだけである。

 それでもこの背表紙を眺めるという行為が、「あの本を読んだ」という記憶に繋がり、内容の記憶にまで繋がっているようだ。この背表紙ブラウジングがない電子書籍の場合、記憶に残りにくいのではないか。

 電子書籍にも今まで買ったコンテンツの表紙画像を並べる機能はあるが、なぜか記憶に残りにくい。電子書籍は本を取り出したり、並べ替えたり、永久保存本棚へのひっこしがない。電子書籍は物理的、肉体的接触がなく、視覚にしか訴えていない。紙の本は、視覚だけでなく、重さを感じ、紙やインクの匂いを嗅ぎ、手触りを感じ、紙のめくれる音まで聞く。さすがには味わうことはできないので、五感総動員ではないが。

 もちろん、だから電子書籍がダメだと言っているわけではない。今は、この強烈な感覚経験である紙の読書と対等に比較され、しかも圧倒的に紙の本の読書の方が多いから、印象に残りにくいだけかもしれない。今後、電子書籍で読んだ本の記憶を電子的手段でより記憶しやすくすることは可能になるだろう。でもそれまでの間、電子書籍で読んだ本の記憶は意識して記憶の中で整理しておかないと、あとあと資料として利用しにくくなってしまいかねない。

キャラごはん

FBで書き込みして、再掲リクエストが多い画像です。FBでは古い画像は見つけにくいので、こちらに転載しときます。もちろんオリジナルばかりではないけれど、奥さんと私で実際に作ってみたのはホントです。上から、「餅(ベイ)マックス」「トトロソバ」「ダイコンオロシニャンコ」

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