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2014年3月に作成された記事

寅さんとタコ社長

 フーテンの寅さんの登場する映画「男はつらいよ」と言えば、日本映画の金字塔。そのシリーズの本数がギネス記録にもなった偉大なるマンネリ映画である。寅さんについては色々語りたい人も多いだろうが、正直、我々の世代ではもうちょっと古くさい、もっと悪く言えば野暮ったい映画でもあった。

 我々がしかしこの映画を意識せざるをえないのは、脇役の一人でもあるタコ社長のせいだ。寅さんの幼なじみという設定のこの社長の商売が実に印刷屋なのである。タコ社長は名言「てめえなんかに中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか」を吐くが、その通りいつも資金繰りに追われていて、あまり景気がよさそうには思えない。でも、元気で明るい。

 このタコ社長の工場が葛飾柴又の「寅さん記念館」に復元されているというので見学してきた。もちろん、この記念館では寅さんの実家である草団子屋「くるまや」の復元の方がメインなのだが、それでも復元されたタコ社長の工場「朝日印刷所」復元も見事な物だ。当時の機械を中心に昭和30-40年代の活版工場が再現されている。私も実家は活版屋だったから、そういえば子供の頃の工場はこんな感じだったと思い出す。

 タコ社長の「朝日印刷所」はこの復元でもあるように活版専業という記憶がある方も多いと思うが、実は1985年第36作では写植が登場している。36作はタコ社長の娘が出奔するというストーリーで、他よりも印刷所の場面が多いのだが、寅さんの妹さくらの夫で朝日活版所の職工だった博が実在の手動写植機を使っているし、その後ろには「オフセット工場」と書かれた扉がある。真偽のほどは知らないが、写植とオフセットの登場は印刷業界が配給元だった松竹に申し入れた結果だったと言われる。当時から印刷会社のイメージとしてこの「朝日活版所」のような零細活版企業の油にまみれた工員の姿が若者に定着するのは好ましくないと思われていたようなのだ。

 第36作の1985年というと30年ほど前になる。歴史をひもとくと手動写植全盛時代だが、ぼちぼち電算写植が中小工場でも使われはじめていた時期にあたる。寅さんシリーズは1995年第48作で主演の渥美清の死去により幕を閉じるが、結局、「朝日印刷所」に電算写植やDTPが登場することはなかった。おそらく、山田洋次監督の美学ではタコ社長の工場にDTPは似つかわしくなかったのである。

 我々はしかし想像をたくましくできる、寅さんのシリーズがもし続いていたとしたら、どうなっていただろうか。おそらく2000年までには、朝日印刷所はDTPを導入していたことだろう。その中ではタコ社長と寅さんのこんな掛けあいがあったはずだ。

タコ社長:「こんどさ、デーテーペーという奴をいれちゃってさ。これがなんとコンピューターで印刷ができちゃうんだよ」

寅さん:「デーテーペ-だが、デーデーテーだが知らねえが、ちゃんと労働者諸君を食わせられるんだろうな」

 とは言っても、タコ社長は活版工あがりであり、DTPを使いこなせたとは思えない。もうそのころには、件の博が手動写植をあやつった縁で主導していたはずだ。そしてCTPの導入とか、デジタル画像の取り扱いに苦労したあげく、今年はあたりはこのセリフを言うだろう。

「このさ、オンデマンドってやつをさ、買わないとさ、もう時代に乗り遅れると思うのよ。いまや、オフセットの時代じゃねえっていうもんよ」

 もちろん違うストーリーはいくらでもある。印刷ネット通販に参入して大成功していたかもしれないし、印刷の将来に見切りをつけてホームページ製作会社に大変身をとげていたかもしない。でもたぶん、どちらにしてもタコ社長のことだ。中小企業魂でしぶとく生き抜いただろう。みなさんの会社はどうですか。

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