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2013年1月に作成された記事

「本」ってなに

 年の初めに考えてみる。「本」ってなに。「本」は何をもって「本」たりうるのか。

 紙の「本」しかないころ、その定義は簡単だった。「紙の上に文字か画像を印字し、複数枚重ねて綴じた物」。複数枚といってもあまり枚数の少ない物は、パンフレットと呼ばれて本とは区別される。本というには最低でも背表紙がつくくらいの厚みは必要だろう。

 なぜ紙が綴じてあるかといえば、もともとは取り纏めて、取り扱うのに便利だからという物理的な理由だっただろうが、それは、ひとまとまりの情報に束ねるという効果をもたらした。本にするとはさまざまな情報の中から、取捨選択してひとつの意味のあるまとまりとなるということなのだ。

 学術書はまさにそうだし、小説であれば、発端があり、話が展開し、急な事件がおこり、大団円を迎えるというような一連の流れが一冊の「本」というかたちにまとめられることで、一体としての感動を呼ぶ。このまとまりこそが「本」が「本」たりえた理由ではないか。脈絡のないばらばらのパンフレットをいくらならべても、「本」とはいえないが、それを一定の方針をもって選択し、ひとつに綴じれば、それは「本」となりうる。情報は放っておけば、手に負えないぐらい散らばってしまって収拾がつかなくなる。それを意味ある集合に「綴じ」るという処理こそが「本」の本質といっていいのではないか。

 情報の意味のある塊を「本」とするなら、電子書籍も綴じこそないが、「本」たりうる資格をもっている。電子書籍も情報のかたまりを画面の上で順次表示するからだ。そこには紙の上と、電子画面という差違はあっても、本質的に同じ作用がある。紙で読んで感動する本は、電子で読んでも感動するだろう。紙の本にはボロボロ涙が出るほどの感動が、電子書籍で読んだのではないということは、よほど紙の本に愛着があるか、電子書籍に偏見のある人でもない限り、ないはずだ。要は形態ではなく内容ということだ。

 WEBページも電子書籍に似た作用を持つことは確かだ。しかし、このまとまりという点で「本」とはいえない。確かにWEBページもまとまりがある。会社ページとか、通販ページとかひとつのURLのもとにいくつかのページが集まっている。ただ、WEBページは電子書籍よりまとまりの度合いがはるかに低い。いろいろなリンクを通じて、すぐに他のページとつながってしまう。Wikipediaも元々紙の百科事典「もどき」だったのだが、項目やその中の単語同士が相互にリンクし合い、または外部ページへリンクすることで、情報がまとまるというより拡散してしまっている。なにかWikipediaで調べようと思って、ひとつの項目を読み始めたとしても、あとは興味がおもむくままにリンクからリンクをたどって、いろいろな項目にたどりつく。Wikipedia以外のサイトへも軽々とんでいける。ここに電子書籍とWEBページの、つまりは「本」とWEBページの境界がある。

 だが、いま、電子書籍も解体の危機に瀕している。紙の本の場合、背表紙のつく紙のひとまとまりという限界から、ある程度の量が必要だった。ところが、その限界のない電子書籍では、トピックがより小さなページへと解体しはじめている。おそらく決済方法が進化すれば、短編は短編集ではなく短編単体で売られる時代がくるだろうし、多数著者執筆の学術書なども、全体ではなく、章や節の論文単位まで解体して販売されるだろう。ましてや、閲覧無料の電子書籍ともなれば、まとまったかたまりとしての情報ではなく、時々に必要な情報の断片が次々と読み捨てられることになる。そして、無料の断片的電子書籍からリンクが無数に貼られて、順次リンクしながら読むということにでもなれば、WEBページとの差はない。

 やはり「本」の定義は、「紙の上」に限定した方が正しいのかもしれない。

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