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2012年4月に作成された記事

 本を処分する

 私は本を買うのが好きだ。もちろん読むかどうかは別としての話だが、蔵書は膨れあがる一方ということになる。本が本棚からあふれるたびに本棚を買い増していったが、日本の家屋事情ではすぐに限界となり、数年前から段ボール箱に詰めて、納戸に積みあげている。しかしこれでは所持している意味がないことにすぐ気づいた。段ボールにいれてしまうと、読みたいときにとりだせない。資料としては役にたたないのだ。しかも何をどこの箱にいれたかを忘れてしまう。本は本棚に並べてあれば、本を探す時、なにげなく他の本の背表紙を眺めているわけで、どこにどの本があるかの記憶があらたにされる。つまりは本棚こそは人間書誌データベースの源でもあるのだ。これがない以上、段ボールづめは意味がない。

 古本屋に来てもらうことにした。馴染みの古本屋があるような愛書家ではないので、ネットから古本買い取り屋をさがす。新刊のネット書店が隆盛であるように、古本のネットワークも充実している。ネット買い取り屋は連絡をとるとすぐに来てくれた。

 ところが処分すべき本を積みあげて古本屋に見せると、古本屋がためいきをついた。ほとんどがバーコードのついていない古い本だからだ。バーコードがあると、それを読み取って自動的に買い取り価格を決めていくようなソフトがあるらしい。

 それにしても何十年も大事にとっておいた本である。しかもほとんどがいかめしい上製本。かなりの価格になるだろうと期待していたが、実際には二束三文だった。古本屋としては売れる保証があるわけでもなし、これから何年も在庫として保管しておかなければならないこともあるだろうから、しかたがない。むしろ、実際に必要としている人へ安い値段で引き継がれた方が世の役にたつというものだとあきらめることにした。

 参考のためにと、今回は売りに出さなかったが、母から受け継ぎ、私が読み、子ども達も親しんだ日本文学全集全揃いの買い取り価格を聞いてみた。残念なことに「買い取れない」そうである。もし持ち帰るとしたら引取料がいるとのこと。もう文学全集など、まったく価値がないのだ。電子書籍なら名作文学など青空文庫のようにいくらでも只で読める時代だからいたしかたないだろう。同じ意味で、百科事典も引き取れないということだった。私もWikpediaばかり使って、百科事典など開けもしなくなったのだから、これも無理はない。しかし、印刷屋としてはこの現状はいささか寂しい物がある。本を大事にしてもらえばこそ、印刷屋が社会の中で役に立っていると実感できるのだから。

 結局、蔵書というやつ、今は資産として、持っていてもしかたがないし、飾り物にもならない。存在意義はやはり人間データベースの源としてのみだ。本の背表紙を眺め、ときどき意味もなく開いては中の図表を記憶しておく。そうすることで、自分だけの資料としての価値が出るということだ。自分が読んだ本と、その記憶というのはその人に固有なもので、それでこそ、蔵書は当人にしか意味を持たない。もっとも、こういう蔵書の使い方も私の世代までかもしれない。図書館の資料ネットワークが充実し、電子書籍がどこでも手に入れば、まさしく記憶がわりにコンピュータデータベースが使えるのだから。

 となると、これから、紙の本の存在意義とはなんなのだ。件の古本屋が「どうしても欲しい。売ってはもらえないか」と言った本がある。山止たつひこ名義の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」である。高校生の時に買って、そのまま今まで持ち続けた漫画だ。だから保存状態もいい。山止たつひことはのちの秋本治、デビュー当時人気絶頂の山上たつひこをもじってこう名乗っていた。その後の版ではすべて秋本治名義に変更したから、山止たつひこ名義の「こち亀」は非常に貴重なのだそうだ。もはや紙の本には骨董としての価値しかないということなのかな。

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