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2012年1月に作成された記事

「学術出版の技術変遷論考 活版からDTPまで」

Ronkoua5s

新著です。
今回は活字からDTPまでの印刷会社の変遷を学術印刷の動向に絞って記述。
A5上製 450ページ という大作になってしまいました。ちょっと高いですが、是非お買い上げください。

印刷学会出版部刊 6800円+税

詳しくはこちら

電子書籍と明朝体

 電子書籍は英語圏の急速な普及に比べて、日本語の世界ではもうひとつ伸び悩んでいる。原因については出版社の抵抗とか、再販制度の功罪とかさまざまに取りざたされているが、印刷業界からはひとこと言っておきたい。やはり、画面における文字の問題だと。今の電子書籍画面では文字が悪い。

 英語では画面の文字の悪さはそれほど目立たないが、それは当たり前で、ラテンアルファベットと漢字の複雑さの違いからもこれは明白だ。漢字の方が圧倒的に画数が多い。これは10画20画がざらにある漢字に比べてラテン文字大文字の画数を数えあげててみればすぐにわかる。CやI、それにOは一画だし、DやMにしても2画、もっとも画数の多いのはEで、それでも4画である。ということはアルファベットに比べて漢字一字の中に引かれている線がはるかに多いことになる。もちろん、漢字はやや大きい文字で印刷されることになるが、それでも漢字の線密度が濃いことにかわりない。

 同じ面積で線の数を多く引こうと思えば、線を細くするしかない。しかも日本語の中でもっとも多用される明朝体は、縦に比べて横線が細い。この明朝の横線を美しく表現するためには、かなりの精細さが必要になる。解像度の低いディスプレイでは明朝体ではなくゴシック体しか表現できないのはこのためだ。現実に私が原稿を書いているこのワープロでも画面表現はゴシックである。

 厄介なのは、明朝の横線を表現するために、そのもっとも細いところに等しい解像度があれば良いのではない。字のバランスを適切に表現するためには、明朝最細線よりはるかに細かい解像度がいる。これはデジタル文字の性質からどうしてもそうならざるをえないのだ。ドット境界が重なった場合どうなるかを考えてもらいたい。ドットより細かい線は絶対に引けないわけだから、この場合、境界にあるどちらか片方のドットで表現する、つまり字のバランスを崩すか、両方のドットでつまり線を太く表現するしかない。

 この明朝の横線問題は、印刷にデジタル技術が導入されて以来、プリンタでもディスプレイでも問題であり続けた。プロ用のセッターやCTPで1200DPIや2400DPIといったとんでもない解像度を要求するのは、カラー写真などの階調表現を担保するとともに、美しいフォントバランスを表現するためといっても過言ではない。

 ラテンアルファベットでは画数が少ないこともあり、元々ここまでの解像度がなくてもそこそこ綺麗な文字表現が出来る。だから解像度がそれほど高くない段階でも商品として成立しやすい。ワープロでもDTPでも、欧米での普及は日本での普及より数年早かった。日本語組版問題の解決やフォントの作成に数年かかるからともいえるが、私はこの解像度の問題が大きいのではないかと思っている。日本語の表現が充分になるまでにデバイスの解像度があがるのに欧米の普及からさらに数年を要するのだ。

 そして電子書籍だ。欧米の機器の標準をそのまま持ち込んでも無理なのがここでもわかると思う。確かに、現在の電子書籍の解像度でも文字は読めなくはない。ゴシックでは充分かもしれない。しかし、今の電子書籍の画面で要求されるのは美しい明朝体表現だ。書籍にゴシックでなくて、明朝が好まれるのは、それが読みやすいからだ。明朝に対する慣れだけではない。欧米でもセリフ系の文字は縦が太くて、横が細い。それが人間の目にとって認識しやすく自然なのだ。だから明朝が正しく表現できないと書籍の代替とはならない。それはデバイスが液晶か電子ペーパーかという問題ではない。

 逆に明朝が綺麗に表現できるデバイスが登場したとき、電子書籍は日本でも普及期にはいるという結論になってしまう。これは意外に早いかもしれない。どうします?


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