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2010年4月に作成された記事

世界の文字コラージュ

2010/4/29現在ツイッターホームの私のページの壁紙は世界の文字をコラージュしています。「あの文字は何?」という質問が多いので、解説画像作りました。小さくて見にくい場合は画像をクリックしてください。でかくなるはずです。それぞれの文字について詳しくお知りになりたい方は中西印刷サイト「世界の文字」へどうぞおこしください。

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(2010/4/29)

フォロワーを増やし、維持するには  ツイッター考-6-

 フォロワーの増やし方で、第一に重要なのは、フォローすることである。これはどうやらまず間違いがない。どんなにいいツイートを発したところで、検索でひっかかるのを待っていてはなかなか増えない。まずは、フォローして、フォローされるのを待つ。フォローされればフォローするのが人情というもの、これでフォロワーがある程度増えてくる。
 実はこれはあっけないぐらい簡単で、どこか、興味が近い人のフォローリストを表示させて、その人がフォローしている人をかたっばしからフォローするだけでできてしまう。翌朝には、あなたのメイラーには「○○があなたをフォローしはじめました」メイルで埋まるはずだ。

 さて、ご存じのようにこの方法は限界がある。2000フォロー限界である。ツイッターのシステム上、フォロワーがある程度増えなければそれ以上のフォローができない。このある程度の基準については、ツイッターシステムは基準を公表していない。ただ、どうもフォロワーがフォロー数と、ある程度近くないといけないようだ。

 さてここで、どうなるか。2000フォローの限界に達したあとは、ひたすらフォローが増えるのを待つしかない。経験してわかったことだが、フォローしてフォロワーとして帰ってくるのは、全部ではないということだ。もちろん有名人なんかはこちらがいくらフォローしてもフォロワーになってくれるわけではない。そして無名人だって、全員が全員フォローをかえしてくるわけではない。この率はおそらく半分ぐらいでしかない。補足率(フォロー/フォロワー)という概念を考えたが、これが0.5程度。つまり2000フォローで1000フォロワー、これがフォローによるフォロワーを増やす方法では限界があるということだ。通常のツイッター活動でフォロワーがなかなか1000を超えないのはこういう理由だろう。

 そしてあらぬことか、フォロワーはここから減っていく。あなたの日常活動を見ていればわかるだろうが、不愉快なツイートをするやつはフォローから外したくなる。私はネトウヨのたぐいは全部リムーブしてしまったし、それ以外にも「おはよー、今日の朝ご飯はハムエッグ」みたいな内容のないツイートしかしない人もリムーブした。それぞれの理由はどうあれ、フォローをし続けないと、フォロワーは自然に減っていく運命にある。

 もちろん、情報として有益なことをつぶやくツイート。読んでいて愉快なツイートはフォローをしたくなる。RTなんかで、おもしろいことを言っている人を発見したりしてフォローをはじめることもある。逆に言えば、いいツイートをすればフォローは増えていく。私の場合、一生懸命、いいツイート(?)をこころがけて一日10や20の新規フォローはあった。それでも1300ぐらいまでフォロワーが増えたところでフォロワーが増えなくなった。どういうことか。フォロー増とフォロワー減が平衡状態になってしまったのだ。

 原因はすぐにわかる。フォローが2000に達した以後は、新規フォローはできない。そうすると、フォローされているのに、フォローを返せないという不義理な状態になってしまっている。フォローしてフォローをかえしてこないとリムーブされる確率は格段に高くなるようなのだ。

 ここで、あらたにツールが必要になる。相互フォローの人と、フォローしているのにフォローをかえしてこない人とフォローされているのにフォローしていない人を分ける必要がある。このうち、フォローしているのにフォローをかえしてこない人は、私のツイートを読んでもくれてない人なので、いい方は悪いが、役に立ってない。こちらが積極的に情報をえようとする先でもない限り、リムーブした方がいい。こういうとき役に立つのがポチッターというようなツールだ。

 これで分析してみると、先に述べた2000フォローあっても、そのうち1000はフォローを返してくれていない、補足率は0.5がわかる。有名な新聞社サイトや有名人サイトをのぞいてこの際リムーブさせていただく。ここで気をつけたいのは、一日にあまりリムーブを大量に強行するとスパマー判定されてしまうことだ。どうも一日100件ぐらいが限界ではないか。

 このあいた100件を今までフォローしてくれてフォローしていない人のフォローにあてる。そして、新規にフォローしてくれた人には律儀にフォローをかえす。ということを地道に繰り返すと、またじわじわフォロー数が増え出した。それでも補足率は0.7ぐらいのようだ。それでも確実にフォロワーは増え出す。

 ただ、こうした方法では、フォロワーはある程度増えるが、ツイッターの本道ではない。やはり有益なツイートをいかに発信できるかにかかっていると思う。中には、フォロー数をふやすことだけを競っているような人がいるが、あまりいただけない。私は今後は地道にやろうと思っている。1日フォロワー10件増えれば1年で3650。悪くないでしょう。

(2010/4/25)


既存業界の抵抗勢力化と電子出版への軟着陸

鎌田氏との対論


 印刷業界を電子出版ビジネスの実際の担い手と考えていただけるのは大変うれしいのです。しかし、しかしです。印刷業界にとって、すくなくなったとはいえ、稼いでいるのは「紙に印刷」する部門です。何度も主張している通り、デジタル化してIT化して、生き残れる印刷会社は、おそらく極めて少ない。元々、ITをビジネスにできる印刷会社が多くない。しかも、今のところは印刷業界はデジタルコンテンツの作成といったビジネスに一日の長がありますが、おっしゃるようにデジタルは参入障壁が極めて低い。コンピュータ一台でいくらでも参入できる分野です。とすると、印刷業界でなくてもかまわないということなのです。

 だから、「抵抗勢力になって、電子書籍の発展を阻害する」側になってでも、既得権益を守るという発想に陥ってしまう。なぜなら、ITに向かって進むことは、ライバルも多く、また多くの新たなことを学ばねばならない茨の道ですが、既得権益擁護の戦いは孤独かもしれないけれど、武器がある。版面権などで闘うことは無意味だと鎌田さんはおっしゃいますが、法律を徹底的に駆使すれば、電子書籍側に余計な手間をとらせることはできます。前に進もうとする電子書籍に訴訟や政治利用などの手かせ、足かせをはめれば歩みを遅らせることはできます。

 昨年、話題になったGoogle書籍検索問題だって、Googleは、結局世界中から反発をくらって、英語以外の全面文献検索はあきらめざるをえませんでした。われわれはGoogleにいきなり公開をつきつけられて面食らったのは確かですが、Google側にしてみれば、あっさり金を払ってすむはずのアメリカでの集団訴訟が、思いもかけず世界中から面倒な反論や反訴をおこされて半端ではない手間をかけざるをえなくなったということです。逆に言えば、既得権益を握る側が徹底的に反抗する気になれば、手間暇と時間をとらせることは可能だと言うことです。最終的に勝つか負けるかはこの際、問題ではない。手間をとらせればよいのです。あるいは、印刷業界は中小業者が多いですから、中小企業振興のためと称して、政治を動かすこともできるでしょう。自民でも民主でも票は欲しいでしょう。

 既得権益擁護のために新産業の抵抗勢力として動く実例は日本の産業史上、枚挙にいとまがない。特に農産物輸入自由化に対する農業団体の抵抗はすさまじいもので、その結果農業団体はかなりの譲歩をかちとっていきました。結果として、それが日本の農業の真の振興になったのかは、ここではあえて問いません。ただ、抵抗勢力として闘うことは政治の問題であって、最終的な理想とはなんの関係もないということです。
 もちろんこんな闘争は不毛です。こんなことをやれば、日本の電子書籍は世界から10年20年と遅れをとり、取り返しのつかないことになるでしょう。私はすくなくともこれが不毛だと言うことはわかっているつもりです。ただ、業界団体の政治力というのは、そんなきれい事ではすまされない。

 「このままでは生き残れないんだよ。だから、みんなでデジタルを学んで、技術力をたかめデジタル時代に対応していこうじゃないか」

 と言われて、目を輝かしてついてくる会社だけではない。実際、印刷会社の中で、印刷機しかもっていない「刷り屋」さんはかなりの数存在する。どろどろと、電子の時代に抵抗し、相手の足を泥沼にとらせことだけを考える勢力だっているということです。こんな会社はいずれは淘汰されるでしょう。しかし、淘汰されるまで、大いに障害にはなってくれる。

 やはり、鎌田さんのご意見はきれい事に思えるのです。紙の延命、もしくは、刷り屋さんにもなんらかのかたちで、電子書籍の権益を分配してやらねばならないのではないか。これは、現在の本屋さんや取次店に対しても同じことがいえると思います。私には、あの集団が、時代に取り残されて、おとなしく消えていくということを選択するとは思えない。一波乱二波乱あり、その間に日本の電子書籍は一周も二周も遅れる。

 まずは、紙の呪縛から解き放たれることを訴えて、デジタル化の道筋をしめす。そして、紙の印刷がまだしばらくは電子書籍と共存できることを保障して安心してもらう。完全にクラッシュするのではなく軟着陸する道筋をしめすのです。本当に軟着陸できるかどうかはわかりません。しかしとにかく軟着陸の方法論をしめさねばならない。そのために、紙と印刷のハイブリッドを提唱します。紙でも出版し、電子書籍にもだす。そういった形式の本をふやすことではないでしょうか。

 私は、ハイブリッド印刷の方法論として可能性が大きいのは、オンデマンド印刷であろうと思っています。オンデマンド印刷はいわばコピーですが、一応、紙を扱うことにはかわりない。今のオフセット印刷とシステムはかなり違いますが、一応「印刷」です。そして、デジタルデータを直接紙に出力するというシステムですから、デジタルデータの取り扱いに慣れていないと使いこなせません。オンデマンド印刷にはいりこむことは、すなわちデジタル技術に習熟することであり、電子書籍への移行も容易になる。本屋も取り次ぎもこれなら生き残れる。

 印刷から電子書籍への革命的な変化の激変緩和措置としてオンデマンド印刷をはさむ。このことで印刷業界が抵抗勢力化するのを防ぐ。といった戦略です。

 ただ、これでも刷り屋さんのラダイド運動は防げませんが。

ツイッター考 5 フォロワーを増やすには解除も的確に

フォローの増やし方術にそって、フォローを増やすためにはフォローするという戦略をとった。結果として1ヶ月ほど前にフォロー限界2000に達して、新たなフォローができなくなったその後はよほど緊急性のあるユーザ以外はフォローしないことにした。

 その後、発言を続けていることもあってか、一日10~15人程度のフォローはあった。従って、フォロー数は順調に増えた。しかし、この数日、フォローの数は限界の2000で張り付いているのに、フォロワーが1300あたりからまったく増えなくなった。むしろ減り気味である。

 ツイッターでは、フォローが始まったときは、「○○がフォローをはじめました」というメイルが来る。この数の累積が実は1600を超えている。簡単な引き算、フォローが一度は来たのに、現在フォローされているのは1300、1600-1300=300。300件はフォローが解除されているのだ。現在、毎日のフォロワーの数はほぼ同じ。つまりフォローがはじまった数とフォローが解除された数が拮抗していることになる。最近活動をおとなしくしていることもあって、フォロー数はへり気味。このままではフォロワーが減ることになりかねない。

 結局、フォローしている中で、フォローを増やすために一時やみくもにおこなって、その後読んでいないフォロー先を整理する必要がある。でないと、いつまでもあらたなフォローがはじめられず、フォロワーも増えない。最終的には、ツイートの内容で勝負なんだろうけれど、有名人でもない私がツイートを増やして読んでもらう人を増やそうといるとフォロー戦略は欠かせない。すくなくとも、フォローはしているが、フォローはされていない、内容もたいしたことないという人を削除する必要がある。

 そういう目でよくよく見ていると、かなりのフォローがフォロー数をふやすだけの中身のないサイトということがわかる。大量のフォロー、アンフォローを繰り返してフォロー数を増やすだけに血道をあげているのである。中にはツイートでそれだけを目的でやっていることを公言するところまである始末。こんなところとはつきあってられない。

 それで、フォロー解除をはじめたが、これが大変。ツイッターの基本機能だけでは、フォローしているがフォローされていない人を発見して、それが継続に意味があるかどうかを判断して解除するのは大変。

 ツールを探していたら、Pochitterというツールにぶつかった。これは相互フォローしている人、フォローされてフォローしていない人、フォローしてフォローされていない人を分けて一覧で表示してくれるツールで、これで統計をとってみて、はじめて衝撃的な事実がわかった。

Pochitter


 フォローは2001人にしているのだが、そのうち相互フォローは1037人、約半分である。フォローされていてフォローをかえしていな人が325人、フォローをしてるのにフォローのない人は964人。

やはり半分近く。この964人の中には、新聞や政治家、有名人といったサイトもあるが、やはり大部分は、どうしてこんなところをフォローしたのと思われるような、サイトである。中には朝鮮語を表記するハングルでしか表示されないサイトまであって、一時闇雲にフォローをしていたころのしっぺがえしである。

 Pochitterではこの一覧表をクリックするだけで、フォロー解除が簡単にできてしまう。やはりこういうものがないとツイッター世界はわたりきれないのだろう。他にも似たようなツールもあったが、Pochitterのよいところは、一覧でプロフィールも表示してくれることである。これがないと、フォローだけをしている重要な相手先まで消してしまうことになりかねない。

 一気に解除にかかったが、100件ぐらいやったところでできなくなった。やはりこちらも制限がかかってくるらしい。フォローを増やすためにフォローアンフォローを頻繁にくりかえすのはやはりシステムからも嫌われているようだ。

2010/4/18

京都の舞妓さん文化を「正しく」保存しよう

 京都では桜の季節とともに、花街にお仕込みさんがやってくる。中学を卒業したばかり、まだあどけなさの残ると言うよりまったくの子どもだ。今まで、紺色の制服に身をつつんでいたのに、今は慣れない着物を着せられて屋形(置屋)さんの下働きをしている。

 お仕込みさんはまだ舞妓ではない。舞妓には、このお仕込みさんの期間、半年なり一年を経て一通りの芸ができるようになってはじめてなれ、お座敷に出られる。そしてあまり知られていないが、舞妓さん自身も芸妓さんの見習いと言った存在である。いわばおし込みさんは見習いの見習い。

 彼女たちは、今は必死に舞妓さんや芸妓さんのあとをついて歩いている。舞妓さんが芸をしている間、ずっと正座して舞妓さんの芸を見ている。花街言葉もたどたどしいが、そこが初々しい。用を足そうとして、座敷の席をたったときあとについてくるのはこうしたおしこみの少女達だ。便所の前で控えて、水をかけたりおしぼりをわたしたりしてくれる。いまどき、15才ぐらいの年齢で、こういうところに飛び込んでくるというのはよくよくの覚悟なのだろう。今は、昔のように花街の子がやはり花街にいるということではなく、全国からやってくるという。

 しかし、このお仕込みさんの中で、何人が舞妓さんになれるだろうか。そして何人が芸妓さんにまでなれるだろうか。毎年、四月に多くのお仕込みさんの顔を見る。でも夏の頃にはいなくなっていることが多い。そして、晴れて舞妓さんとして店出ししても、すぐにやめてしまう子も多い。その間の屋形さんの教育費は大変なものになるはずで、割があわないんじゃないかなと同情する。

 確かに舞妓さんは大変だと思う。舞に、唄に三味線、そして茶道と、いろんなことを学ばねばならないし、行儀作法や上下関係にも厳格だ。だとしても、やめる理由はそれが原因ばかりとはいえないと思う。彼女たちだって、その厳しさは覚悟していたはずだ。あえて、そうした厳しさの中に自分を置くことで自己実現をはかろうとしてきているのだから、そうした芸の鍛錬や厳格さはむしろ望むところだろうと思う。

 むしろ、客の側の問題が大きいと思う。

 屋形さんといっても、われわれの親の世代は家族ぐるみのつきあいであって、舞妓さんがお仕込みさんから舞妓になり芸妓に育っていくのを我が娘のように楽しんでいたと思う。舞妓さんと一緒に、南座へ観劇に行ったり、京都の名所を連れ歩いたりしたのも舞妓さんを育てたいという思いが大きかったろう。そこには日常の空間とは別の非日常の空間で別の人生を楽しむといった余裕があったと思う。

 そのために、だんはんは散財もまた惜しまなかったし、それが社会的に許されてもいた。そうした、手塩にかけた舞妓ちゃんは、たまに東京からお客さんが来たときには、京都人の最大のもてなしとなった。東京からのお客さんは舞妓ちゃんがお座敷に来るということで本当に「接待された」という気になっていただけるらしい。京都の商人にとって「舞妓ちゃん」は契約成就のための秘密兵器でもある。

 反面、舞妓さんの芸とかわいさを本当の意味で楽しんでくれる人が少なくなった。以前、舞妓ちゃんの席に、地方の方を連れて行ったことがあるが、舞妓さんがお座敷にきたあとは、ひたすら、舞妓さんの出自や日常生活のことばかり聞かれるので辟易したことがある。確かに今の舞妓さんは京都出身でないことも多い。だからといってそれをしつこく尋ねるというのは、京文化を楽しむということとはかけ離れている。いわば舞妓さんは純粋京都であって、そこに日常性がないからこそ、存在意義をもつ。程度問題だが、舞妓さんの日常を問い詰めることは「粋」に反する。

 また、舞妓さんを着物コンパニオンと間違えて、やたら横柄な態度をとったり、飲酒を強要したりするお客さんも、困る。多くの舞妓さんは未成年だし、芸に命をかけているのであって、お酌してまわるのはあくまで、芸を見せるときのサービス的なものなのだ。もっとも、最近の舞妓さんは舞を舞うより、そうした宴席でお酌をしてまわるのが役割と心得ているのか、妙に慣れている子がいる。これもある意味興ざめだ。京都のだんはんは注文がうるさいのだ。

 最近、なじみのお茶屋さんも兼ねた屋形さんに行ったら、からおけルームができていた。単にお座敷だけではお客さんの要望が満たせないという。舞妓さんと古典的な遊びをする人が減ってしまって、お客を呼ぶにはこうした設備が欠かせなくなったという。もちろん、舞妓さんを横にカラオケをするのである。最高の贅沢とも言えるが、最近のだんはんはすでにニューミュージック世代。歌うのはユーミンやサザンで、どうにも雰囲気にそぐわない。舞妓さんはもう慣れてしまっているのか。

「やあ、だんはん上手やわあ」

とか言ってはくれる。

 でもかわいそうなのは、その横でじっと正座して控えているおし込みさんだ。客が爆風スランプをがなりたてる横で、じっと、耐えている。いとおしいが、やはり、地方から出て、舞妓という伝統芸能の修行にきているはずなのに、かわいそうな気がする。これではやめる子が続出しても不思議はない。

 京都は京都らしくと言われても、伝統は変化して行かざるをえまい。なんにせよ、花街文化というのは維持するのにお金がかかる。京都の花街文化を支えた西陣の着物問屋も着物離れから壊滅して久しい。東京のお客さんも「京都での舞妓接待」をいやがられるようになった。贅沢の象徴のように思われているからだ。「それより一円でも仕入れ価格を安く」といわれるとやはり、悲しい。このままでは京都の花街文化は、ガラスの向こうで博物館と化するか、一般の和服バーとして延命せざるをえなくなってしまう。

 白状しますが、御茶屋さんのカラオケで爆風スランプをがなったのは私です。ごめんね舞妓ちゃん。

2010/4/11

紙の桎梏と呪縛から解き放たれたとき、電子書籍という未来の地平が立ち現れてくる

鎌田様

お招きいただいてありがとうございます。http://www.ebook2forum.com/2010/03/ebook-and-printing-business-1/
印刷業こそが電子書籍の先頭にあるというお言葉、ありがたくお受け取りします。
私のブログ「電子書籍の抵抗勢力たらん」の反響の大きさに実は驚いています。あの文は出版や電子書籍関連の方々に向けたのではなく、むしろ印刷業界向けに決起を促したものなのですが、一般の反響の大きい割に印刷業関連の方からはあまり反響がありませんでした。ひとつは、印刷業界の勉強不足ということはあるでしょう。そもそも電子書籍についてあまりに知らない。ソフト業界でのクラウドコンピューティングの例をだしておられましたが、得体のしれないものには過度の恐怖感を抱くか無視するかしかありません。印刷業界の場合は恐怖のあまり足がすくんで何もいえないということはあるでしょう。

もうひとつは、やはり出版社への遠慮があると思いますね。なんといっても、印刷業界の最大のお得意様ですし、彼らのご機嫌を損ねることはできません。電子書籍にかろうじて将来の芽を見いだそうとしている出版業界様に向けて印刷業界が反乱をおこすのはなかなか難しいのです。今後出版物の部数も点数も減るのはわかりきっているけれど、まだ注文は電子書籍より紙の本の方がはるかに多いわけで、出版業界をさしおいて印刷業界から発言するわけにはいかんのです。

でも、もう印刷業界人としては出版社と心中するのはいやです。

だからまずは主張すべきは主張させてもらう。印刷したら、当然のようにその原版PDFを要求され、泣く泣く渡すと、それがなんのことわりもなく電子書籍として使われているなんていうことはやはりやって欲しくない。法律的にはどうなんでしょう。昔、活版の時は、版の上に載った内容は著者や出版社のものだが、それを支える鉛は印刷会社のものという了解がありました。だから再版の時は、仁義としても、実質的な技術的制約という意味でも、かならず同じ印刷会社に仕事をまわしてくれた。同じ理屈を敷衍すれば、印刷会社も当然版面に対して権利を主張できる余地があるはずです。そうした権利がちゃんと守られてこそ、対等なパートナーとして出版社や著者と共同歩調がとれるんじゃないですか。

そして、印刷会社は大量に複製することが仕事だと思ってちゃいけない。私は京都の印刷工業組合で委員をしていますが、京都の工業組合でもいわゆる印刷機を回している「印刷工」は少数派です。その多くはDTPオペレーターやデザイナー。かれらにとって必ずしも紙がなくたって生きていけるんです。

ただ、ご指摘のように、あまりに今まで「紙」への依存が大きかった。親父がよく言ってました「紙代は第2次大戦直後と今とではほとんど変わらないのに、その間人件費は100倍にはなっている」。印刷屋は昔、印刷機をまわすどころか、紙の相場を見て、仕入れた紙を右から左へ転がすだけで儲かったのです。紙に刷らないとどうにも儲からない。そういう構造になってます。その中で、組版やデザインは印刷のおまけという意識は強く、出版社も本を積み上げれば、金を払うことには納得してくれるが、組版だけに金をだすという習慣はなかったですね。だから、いわば組版だけに特化してしまうような電子書籍ビジネスは印刷業界はみんなおよび腰です。

でも、結局はビジネスモデルの問題でね。電子書籍ビジネスでちゃんと利益がでればいい。もちろん、われわれもPDFを作ってるだけで、お金がいただけるとも思っていない。電子書籍にふさわしい技能を身につける必要があるでしょう。それぐらいはわれわれも考えている。

電子書籍は印刷業界にとっては業界そのものを破壊しかねない極めて危険な代物です。この危険な代物を下手に出版業界に扱われて、印刷業界もろとも沈んでしまうぐらいなら、電子書籍の抵抗勢力になってやる。まあ私の真意はそんなところでしょうか。

紙の本質とかオンデマンド印刷とか、いろいろ書きたいこともありますが、先は長い。まずは私の決意表明でここはしめくくりましょう。

全国の印刷業者よ団結せよ。紙の桎梏と呪縛から解き放たれたとき、電子書籍という未来の地平が立ち現れてくる。

2010/4/3

寓話、大波・小波

 「もうすぐ波が来るぞ」

 かれこれ20年前。私はこの波に乗ろうと準備万端整えて待っていたサーファーだった。サーフィンボードはコンピュータ(電算機と言った方がいい)、波はコンピュータ化組み版印刷。電算の時代が来るというのは、私たちがこの業界にはいる以前から言われていたことで、高いコンピュータを買って、やがて来るという電算の時代を待ちかまえていた。技能修練も万端おこたりなく。プログラムのできる社員や、キーボードの達人といったそれまでの印刷業界に求められた人材とはひと味もふた味も違う連中を集めた。

 確かに波は来た。でも思ったほど大きな波ではなかった。ひとつには、準備万端整えた頃にバブル崩壊、受注減に追い込まれて、波が小振りになってしまったこと。そして、電算そのものがどんどん簡単になって、予想していたより多くの会社がこの波に乗ってきたからだ。電算という波にのって他社をつきはなすつもりが、ふと見ると横には何人ものサーファーがこの小波に乗っていたというところか。もちろん、何人かは波に乗れなかったり、乗ったとしても倒れてしまうということもあったけれど。

 ところが、そんな小波に乗った乗れないで競争している場合ではなかったのだ。ふと気がつくと、後ろからさらに大きな大きなインターネットの波がやってきていた。大あわてでこの波をとらえようと、あらたなサーフィンボード(インターネット関連設備や人材)を用意したが、間に合わなかった。このインターネットというサーフィンボードは、印刷業界用のサーフィンボード(電算写植関連設備)と似てはいるのだが、大きさも構造も全く違っていたのだ。

 まあいいや、あっちのサーフィンの世界とこちらの世界とは方向が違うということだ。そう思うことにした。波は大きいかもしれないけれど、向かう方向が違う。インターネットの世界がこれから西へ行く波とすれば、我々印刷業界は東へ行く波。競合もしないし、全然世界の違う話だ。我々印刷業界は印刷業界としてこの東へ行く波に乗っていればいい。それにしても少々、波が小さすぎるな。この小さな波に乗っている人数も多すぎる。

あれれれ、西へ行くはずの波がいつまでたっても西へいかないぞ、我々の向かう方向と同じ方向に向かって行くじゃないか。これではこの小さな波はのみこまれてしまう。インターネットの波は、どんどん印刷の波を食っていくぞ。まず、雑誌の波がのみこまれたと思ったら、あっというまに新聞の波も食ってしまった。おや、あちらではテレビの波ものみこもうとしている。なんなんだこれは、この大波はメディアの大海を覆い尽くしてしまいそうな勢いじゃないか。

 まずい。まずすぎる。このままでは印刷の波も全部くわれてしまう。やはりインターネットの波に乗らなければけないのだろうか。あれ、あちらのインターネットの波にのっているのは、印刷業界人じゃないぞ。なにか人種が違う。いや、人種が違うだけじゃない。若い。どうやらインターネットの波はそれに向いたサーフィンボードを買うだけじゃ乗れないんだ。ネット世界での波乗りセンスという奴が必要なんだ。じゃあ、われわれは何も出きず、座してのみこまれるのを待つだけなのか。

 「あれ、お父さん。そんなところで何しているの」

 インターネットの大波の上から、声をかけられて、ふと上を見るとインターネットの大波で楽しくサーフィンしている息子だった。

「なんだ。おまえか。何しているんだ」

「次は、放送と通信の融合という、さらに大きな波がくるから、それに乗ろうと思ってね。お父さんも来る?」

 そこで、私は目が覚めた。だから私がどうしたかはわからない。

2010/4/2

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