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秘密の入り江

 子どもの頃、毎年海水浴に行った。もちろん、整備された海水浴場で遊泳するのが常だったけれど、私たちの家族にはもうひとつ秘密の入り江があった。

 父がきまぐれに運転していて発見したところだ。秘密の入り江は漁村から海水浴場にいく整備された道ではなく、夏草の茂る砂利道をしばらく行ったところにあった。朽ちかけた木造の民家のとぎれたところに金網で閉ざされた一画がある。もちろん、塩風の吹く海岸のこと金網は錆びてところどころが破れ、侵入者を廃除するという目的をはたしていなかった。特に立ち入り禁止という看板もなく、父はその金網のそばに車をとめる。

 金網をくぐってしばらく夏草をかきわけていくと、そこには三日月形の浜がある。200メートルか300メートル、海にむけて見事に湾曲し、白い砂が海と夏草を分けている。父はこの浜辺にビーチパラソルを刺し、母はその下にゴザを敷いて、即席の海水浴場のできあがりだ。

 太陽が水面に反射してキラキラ輝き、山からはさわやかな風が吹いていた。私と妹は水着に着替えると、海にはいった。足底にひんやりとした水の感覚。そして泳いだ。私たち家族以外には誰もいなかった。ただ、そこが海水浴場でない理由は金網に囲まれているからだけではない。すぐに深くなるからだ。波打ち際から2・3歩行くだけで、海は急に深くなる。泳げない幼児にとっては、危険すぎる海だった。しかし、もう小学校の高学年になっていた私や妹には深さは関係なかった。入り江の奥は波もほとんどなく、泳ぐには最適だった。

 水中めがねをもちだして海にもぐると、豊かに海藻が生い茂り、そして海藻のすみから魚が顔をだした。群れをなして泳ぐ小魚もいれば、底の方ではヒトの気配を感じたコチのたぐいがとつぜん砂の中からとびだしてくる。父と母もくわわって、海藻をとったり、魚をおいかけたり、こころゆくまで楽しんだ。

 夕闇が入り江に影をおとすころ、名残おしく、われわれはその入り江に別れをつげた。それはそれは幸せな夏休みの一日だった。

 何年かの幸せな夏休みをすごしたあと、秘密の入り江の金網がとつぜん新しくなった。そして「立ち入り禁止」の看板と鉄条網までいかめしく新調された。家族は、それを無視してまで進入する気はなく、秘密の入り江からは突然しめだされてしまった。しかしそのころには私はもう大きくなっていたし、それほど未練はなかった。ただただ幸せな夏休みの思い出として、心の底にしまっておいた。

 大学生になって、自分で自動車が運転できるようになり、思い出してその入り江の場所に行ってみた。恋人と一緒だったかもしれない。入り江はみあたらなかった。近くの漁村はすぐに見つけられた。でもなぜか雰囲気が違った。規模は小さいのに街になっていた。白いコンクリート造りの魚協や妙に明るいスーパーマーケットが目立つ街になっていた。記憶をたよりに元の漁村を進むと突然巨大な煙突が目に入った。

 秘密の入り江は火力発電所になっていた。確かに間違いがなかった。そばの朽ちかけた木造の民家には見覚えがあった。あいかわらず干物を干していた。魚と遊んだ海岸は埋め立てられて、コンクリートの護岸にタンカーが横付けされて、海には油が浮かんでいた。すこし悲しかった。火力発電所に用はなく、私はそのまま自動車をユーターンさせた。

 結婚して、子どもが生まれた。父がそうしたように私も子どもを海水浴場につれていく年齢になった。海水浴場に子どもをつれていくと、宣伝パンフレットがあった。火力発電所が一般に公開されて、小さな水族館まであるという。あの秘密の入り江あとにたった火力発電所のことだとすぐにわかった。

 その火力発電所をたずねると、職員は親切だった。火力発電所の設備は立派で、そこが、あの秘密の入り江だったとはとても思えない。でも私は入り江の山の形には見覚えがあった。そこは確かに秘密の入り江のある場所だったのだ。火力発電所の大きな設備や作業用車にはしゃぐ私の子どもを横に、私は遠い秘密の入り江の思い出に浸った。

 水族館は整備されていた。清潔なアクリルガラスの向こうには、私が子どもの時に秘密の入り江でお目にかかった魚たちが泳いでいた。でも手をのばしても届かない。確かに子ども向けのタッチングプールもあった。こどもたちはよろこんで、魚のぬるぬるとして感触を楽しんでいた。でもそこはあくまでコンクリートに囲まれた浅い、作られた空間。あの秘密の入り江の砂浜と、目の前の魚たちとはぜんぜん違う。でも、これも時代かもしれない。安全で清潔なこのプールを素直に喜ぼうと思った。

 それは幸せな夏の寓話・・いや この話、これで終わりではない。実はこの火力発電所、電力需要の低下とかで、操業停止になってしまったのだ。そして火力発電所の設備だけはそのまま残った。秘密の入り江は二度と戻らないけれど。

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コメント

同時代を生きている者の一人として、郷愁を覚えるシーンであり共感を感じるお話しでもあり、じわりとインパクトを受けました。それは、思い出の中のある出来事とその場所のいまの景観を通して、三代の繋がりの確かさ、個人史から透かして見る日本経済成長神話のもたらしたもの(喪失と残置、出現)、有史以来連綿と続いている人間の自然への関与急加速化です。「安心&清潔」を手放せない、そして今後サスティナビリティを保っていくにはどうすればよいのだろうか?。また、一昨年、同窓会で訪れた地を想起して、ツイン・タイム・トラベルするという余得をいただいた。ありがとうございます。

あっ、ありがとうございます。秘密の入り江は昭和40年代以前の海辺の少年達、誰もがもっていると思います。長く温め続けた文章で好意的なコメントいただいて感謝です。

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