drupaに思う

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 drupaに行って参りました。4年に一度の印刷業界最大の展示会。というより、お祭り。drupaで出品された細かい技術情報は他の記事に譲るが、やはり前回のdrupaに引き続き、インクジェットdrupaバージョン2というのがまさに今回を言い表しているだろう。各社からでているインクジェット機は、大判で高速かつ、高品質となってきている。バリアブルはあたりまえで、今や、どんな素材にするか、どれくらい厚塗りできるかなどの付加機能の勝負になってきている。印刷する面は平面でなくともよく、ボールやボトルのようなものにまで印刷できるようになっている。

 そしてその延長上にあるのが、今回目立った3Dプリンタだ。デジタルデータを素材に印刷された層を盛り上げて形を作るという意味では、ある意味インクジェットの延長でもある。各メーカーがブースの一部に3Dプリンタを並べていたが、これは前回もあったのかもしれないが、これほど目立つことはなかった。この4年間の大変化だろう。

 drupaは現実の製品より近未来の技術展示をする場と言われる。とすれば、数年後には世の中はインクジェットとか3Dプリンタばかりになってしまうのだろうか。今はとてもそんなことにはなりそうもないと思える。だが、ひと昔前、固体トナー系のデジタル印刷機がオンデマンド印刷機と呼ばれていた頃、こんなに津々浦々の中小の印刷会社にまでデジタル印刷機が行き渡るとは誰も思ってもいなかったわけで、やはりそうなっていくのだろう。

 新技術の普及というのは、ある日突然起こる。何年かけても普及しないでようでいて、普及するときには一気に変わる。もちろん、普及しないまま消えていく技術も多いわけだが、変化を軽視していると、あっというまに時代から取り残される。それを実感するだけでもdrupaを見る価値はある。

 そしてもうひとつ印象に残ったのは、会場でも街でも多くみかけた中国人の姿だ。前回のdrupaでも中国人見学者はいたが、今回出展の方に中国系を多く見かけた。中国系の出展というと前回は粗末なブースに素朴だが安価な機械を並べてというところが多かったのだが、今回は五星紅旗をかかげたブースに結構デザイン的にしゃれた展示や垢抜けた販売員の姿が目立った。彼の国はどんどん発展している。そして中東からだろうか、浅黒い肌に、アラビア文字のパンフレットを持った人にも大勢お目にかかった。石油を掘り尽くす前にあらたな産業を興そうという強い意志を感じた。

 翻って気になるのが、見学者に日本人の姿が少ないことだ。これは統計を見ないと正確なところはわからないが、東洋人とみると中国人だったということが多かった。今回のdrupaについては、日本の業界人から「いまさらdrupaでもないよ」と、訳知り顔に言う人が多くいた。卓見ともいえるし、厳しい業界情勢を反映してdrupaどころではないのかもしれない。

 正直なところ、3Dプリンタと言われても中小の印刷業者の身で何をどうやればいいのか、迷う。だが、これでは中国パワーに負ける。まだできるはず、まだやることがあると貪欲に新事業を追い求めることで業界は活性化する。実際、高度経済成長期の頃の親父さんたちはdrupaで貪欲に新事業の種を仕込んでいた。
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 「今、会社が大きくなったのはdrupaであの機械を見たおかげです」
 と語る人を身近に知ってもいる。それがなぜ、今の業界人にはできないのか。日本の衰退のあらわれと諦めてしまうのはあまりにさびしい。

 もちろん、新しい機械さえ入れれば、会社が繁栄するというものでもない。だけれど、それは昔だって同じこと。数年後の技術を見て、数年後のビジネスを考えるのが経営者だと思うのだ。で、私はこのdrupaで何を見、どんなビジネスを考えたか。それは秘密です。

ベントン彫刻機の謎

 出版学会の見学会で大阪のモトヤの資料館に行ってまいりました。印刷業界人なら誰もが知っているように、モトヤは活字販売の老舗。モトヤ活字というと当社もずいぶんお世話になりました。そのモトヤさんも、1996年に活版から撤退したというから、もう20年になる。当社の活版廃止はそれより少し前の1994年。活版は20世紀の終わりとともに日本から消えていった。2000年紀(西暦1001年から2000年)最大の発明と言われた活版印刷術もまさに20世紀とともに姿を消したわけだ。現在、活版は美術品や文化財的な残り方はしているが、産業としては終わっているといっていいだろう。

 展示されている活字の母型や鋳造機など、私にもなじみが深い。入社したころはまだ活版が現役だったからだ。歯車とてこで動く油にまみれた機械と大勢の熟練の職人さん。それが私の入社した頃の印刷会社の光景だった。モトヤさんは、その上流工程に遡り、活字だけでなく、その元となる母型を作られていたようだ。
 活版展示の正面にあったのが、そしてベントン彫刻機である。

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「ベントン彫刻機」。その名前は知っていた。当社にもベントン彫刻機の原版というものが残してあるからだ。なくなった先代社長が活版をやめるときに、これは保存しておけと言い残していたものの一つだった。5センチ四方程度の亜鉛の板に、文字が正像陰刻で刻まれている。ただしごく薄くである。元々原版の亜鉛板が薄いから、そんなに深くは彫り込めない。原版自体は手で刻むのではなく、手書き文字を腐食法で転写するらしい。

 父からはこれを「ベントン彫刻機」にかけると、この亜鉛の原版の文字が縮小されて真鍮の母型が彫刻されると聞かされていた。しかし、どうやって実際に縮小して彫刻するのかは謎のままだった。しかも、私は活版よりも電算の方に夢中だったから、それをあえて深く追求することもなかった。最近になって、活版が古き良き時代の本文化を支えたとして見直され、当社のミニ活版博物館にも見学者が来られるようになっても、ベントン原版は「これを元に母型を作った」程度の説明しかできなかった。

 ベントン彫刻機、それはあまりに巧妙な仕組みだった。大きな字の原版と母型彫刻部分はつながり、さらに支点で支えられている。上から支点、彫刻機、原版の順番で並ぶ。これで原版をなぞると、その動きがそのまま彫刻機に縮小されて伝わるというわけだ。この仕組みだと、彫刻機と原盤の位置を変化させるだけで、縮小率も変化させられる。父はこの機構をパンタグラフといっていたが、むしろてこと考えた方がいい。彫刻自体は高速回転する刃が削るようになっている。

 ベントン彫刻機の普及で一字一字手彫りしていた活字の原版を、紙に大きく手書きしただけで作れるようになったわけで、活字母型の生産性向上や書体開発などにも大きく寄与し、戦後の日本の印刷技術を大きく発展させたという。160409_0720


 そういえば、この戦後の同時期に発展することになる手動写植の数々は同じく大阪のモリサワさんの博物館に保存されている。活版と平版の違いはあれど、当時の印刷技術者は大阪で努力を重ねていたわけだ。

 その後、私の時代以降は、本欄でコンピュータ奮闘記・IT奮闘記で書き続けたように、印刷、ことにプリプレスは電子技術一辺倒になる。モトヤさんも今は電子フォントが事業の中心だということで、歯車とてこの時代は遠くになってしまった。

 もちろんこの博物館には、和文タイプや初期の電子組版機も展示されていた。こうした初期電子組版機は入社したてのころ、良く売りに来ていたのを思い出す。あれからもう30年たつのだ。そろそろ初期電子組版機なんていうのも、集めて研究しておかないと、ベントン彫刻機のように忘れられた機械になりかねないよなあ。

試験問題に使われました

 見慣れないところから郵便物が届いた。あけると某大学の学長名でこんなことが書いてあった。「このたび本学2016年度入学試験におきまして、下記著作物を使用させていただきました。

『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』」

この本は、2010年発売。このコラムをまとめたものである。つまりはこのコラム自体が入試問題に採用されたのだった。使われたのは2007年の「活版を知らない子供たち」と2009年の「電子式年遷宮のすすめ」の2本である。こうして採用されてみると、なにか他のコラムより出来がいいような気もしてくるのが不思議なところ。印刷・出版関係の本というのは本に埋もれて暮らしている大学の文系の先生にとっては身近なので、手にとっていただいていたのだろう。それがめぐりめぐって入試問題になったということなのだ。

「活版を知らない子供たち」は、活版を知らない新入社員が増えたことを嘆き、インターネットの時代だからこそ、ずしりと重い活字が文化を支えてきたことと、我々印刷業者はその末裔であることを誇るべきだという主張である。

 そして「電子式年遷宮」の方は、結構あちこちで引用いただいている私の造語だ。電子データは大量に複製されて、容易に拡散するけれど、長期保存にはハードやOSの進化が速すぎて向かない。だから、時代時代に適したかたちにデータを移し替えておく必要がある。あたかも神社が何年かに一度、お社を全部建て替えて、神様を移っていただくように。

 試験問題は2つのコラムを読ませ、それについての設問という形式になっている。どちらか一方が問題になっているのではない。

 これが正直難しいのである。筆者みずからが自分の文章についての問題が解けないという変な状況に陥ってし
まった。特に最終問はお手上げだった。長くなるけれど引用する。

[この2つのエッセイは、どちらも傍線部a「この台詞、電算写植だDTPだと、盛んに旗をふっていた20年前の私にプレゼントしたいなあ」と、傍線部b「『だからやっぱり印刷だよ』という結論にしたいところだが、マルチメディアコンテンツをどうやって紙に保存するかという問題に降参だな」のようにややくだけた調子で終わっているが、ここに共通している著者の姿勢を最も端的に表している一文を抜き出しなさい。]

 わからん。本当にわからん。私のこのコラムは、オチをつけようと思うので、割と最後がおちゃらけた感じで終えることが多い。でもそれはどういう心理の結果なんだろうかと問われても、困惑するばかり。

 前者は活版をほめて、そして最後に、電算化の過激派だった私が、変節したことを自分で皮肉っている。後者は、電子の世界にはいろいろと面倒なことが多いから紙の方がいいという結論にしたいが、それでも、やはり電子にはかなわないと嘆いて見せる。そこまではいい、ここに共通する著者つまり私の姿勢とはなんだ。そして、それを一番よくあらわしている一文というとどれなんだ。

 聞くところによると、こういう試験問題は作者でも解けない場合が多いという。試験問題は独立した作品とも言うべきものなのだ。

 どうしてもわからないので、受験勉強をやったばかりの大学生の息子(文科系)に解かせてみた。彼いわく、こういう場合、解法の定石がある、くだけた調子というのは、仲間向け、もしくは子供向けと解釈するという。そして二つのコラムに共通するのは紙の重要性の認識だと彼は喝破した。従って、彼の解答は「活版を知らない子供たちには、活版のことを語り続けねばならない」だという。正解かどうかはまだわからないが、私の心理の奥底にはそれがあるということかあ。

 私の深層には活版が根強く居座っていることと見透かされましたか。本コラムまとめの最新刊は「電子書籍は本の夢を見るか」です。
 

男親の読み聞かせ

 「読み聞かせをすれば、子供がぐんぐん伸びる」という言葉を信じたわけではないが、男の子2人の子供が小さい頃よく本を読んでやった。男親と子供との関わりというと、外でキャッチボールというのが正しいらしいのだが、根っからのインドア派の私は子供との関わりというと部屋で模型をくみたてたり、一緒に本を読んでやったりということになるのだ。

 本当にちいさいころは定番どおり、絵本を読んでやった。1歳児用、2歳児用とこまごまといろんな絵本があった。絵本にはページをめくるたびに驚かせたり、喜ばせたりと仕掛けがあった。子供は素直で、驚くところでは驚いてくれたし、喜ぶところでは喜んでくれた。このころ子供に人気だったのは、たかくあけみの「やぎのめーどん」である。ただただ、やぎと子供が遊んでいるだけなのだが、「めーどん、めーどん、めーめーどん」というリズミカルな表現が読んでいても楽しかったし、子供も喜んでいた。夜になると、子供がこの絵本をもってきてろくに言葉も話せないのに「めーどん、めーどん」と言って読むのをせがむのである。

 もうすこし大きくなると、絵本では飽き足らないのか、図鑑が好きになった。恐竜や太古のほ乳類といった図鑑がお好みだった。ただ、名前が書いてあるだけなので、そのまま読んだのではつまらない。恐竜の名前を「ぱあ-きけふあろおさあうるすう(パキケファロサウルス)」と大げさに読んでやると、キャッキャッ喜んだ。おかげで恐竜の名前には詳しくなったし、「エレファスファルコネリ」なんていう、わたしたちの子供のころには聞いたことも見たこともない動物の名前を知ることになった。ちょうど恐竜にも羽毛があったというのが判明し、一気に恐竜の復元図がかわったころだった。それにいちいちこちらが感心していたら、子供に伝染したのか。ある日、よそのおかあさんにかたっぱしから「ねえねえ知ってる。恐竜にも羽があったんだよ」と語りかけているのには少し恥ずかしかった。子供は正直で、こちらの感心がそのまま子供の心にもダイレクトに伝わるのだ。

 恐竜の名前を連呼するだけでは、情操上問題があるのではないかと妻が言うので、寝る前に童話を読んでやるというのもやった。ただ、字ばかりの本には子供はあまり興味をしめさない。「よい子の童話集」に挿し絵も載っているが、いかにも上品で、恐竜の絵に慣れている子供たちは喜ばない。そこで、インドア派の必殺技が登場だ。若いときから、能や狂言、歌舞伎を見続けているし、演劇も経験あるので、抑揚と感情を思いっきりこめて読む。これは結構うけたのだが、面白いだろうとあまりやりすぎると、子供はむしろしらけてしまうということもわかった。ほどほどが大事なのだ。

 童話の読み聞かせというと、思い出すことがある。あれは確か寝床でオスカーワイルドの「幸福な王子」を読んでやっていたときだ。もちろん、このお話は派手な話ではないし、最後は悲しい。あまり感情をこめないで淡々と読んでいた。子供たちは、おとなしく聞いていたかな。そして、最後にかかるころだった。泣いていたのだ。いや、子供ではなく、一緒に寝ていた妻が。隣で週刊誌をみながら、実は「幸福な王子」を一緒に聞いていたのだ。子供たちは泣くところまではいかなかったけれど、静かになっていた。たぶん、幼な心に感動していたのだろう。私は、子供たちをぎゅっと抱いてやった。家族みんなで、感動を共有できる。これが読み聞かせの本当の意味なんだなあと思った。

 その後、子供たちがぐんぐん伸びたかどうかは、もう少ししないとわからない。でも、2人ともすごく積極的で、クリエイティブな大人になるつつあることだけは確かだと思う。いいですね。読み聞かせ。


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『やぎのめーどん』たかくあけみ 福音館書店 ISBN978-4-8340-8073-5

Static おじさん

このおじさんは、IT界隈に大量に出没しているらしい。オブジェクト指向言語を理解できない時代遅れのおじさんのことをそう呼ぶ。これが単に馬鹿にされているどころではなく、若いプログラマにとっては迷惑きわまりないのだ。単に理解できないどころではなく、自分で理解できる時代の書き方でプログラムを書くことを若いプログラマに要求するからだ。オブジェクト指向言語でも、昔風のプログラムが書けるstaticという宣言をやたら書くというおじさんの癖を揶揄してついたようだ。

内容はともかく、私もそんな風に思われているんじゃないかとちょっと怖くなった。

IT界隈の進展は速い、Staticおじさんがプログラムを覚えた頃に最先端だった技術も、今や化石だ。もちろん、年をとるにつれ現場で働くことはなくなり、指示したり、教育したりのという立場になるわけだが、そのためにも新しい技術を理解しなければならない。しかし、なかなかそれができない。若い頃に覚えた知識とは根本的に違うプログラム言語体系になっている上に、年を取ってくると新しいものが覚えられなくなる。

部下に自分のわからないプログラムを書かれたのでは、その善し悪しもわからない。結果として、自分のわかるようなプログラムコードを書けという指示をだすことになってしまう。これが、Staticおじさんだ。

若い技術者にしてみれば、せっかく学校で最先端の技術を習ってそれを実務で試そうとしても、指示は「年寄りのわかるような古いプログラムを書け」と言われるわけだからたまらない。質が悪いのは、Staticおじさんは若かりし頃、会社内の他の誰もコンピュータやプログラムがわからない環境の中で、華々しい活躍をしたため、自分で実力があると思いこんでいることだ。その実、活躍の内容は出来合のアプリケーションを単に使っただけだったりするのだが、それを自分の手柄のように思い込んでいる。

会社上層部はStaticおじさんを今でも実力があると思っているから、こぞってStaticおじさんの肩をもつ。これでは、若い技術者は続くまい。IT技術者が定着しないとお嘆きのあなた。実は、待遇や給与以前にこういうことでやる気をなくさせているのだ。逆に給与や待遇面だけでは、IT技術者は働いてくれない。

Staticおじさん類似人種は、印刷業界にも大量にいそうだ。電算写植で有名をはせたコーダーなんていう人たちも30年たってお偉方になっている。最近、業界の会合などで話をすると、若い頃電算写植からスタートしたという人によく出会う。電算写植が中小印刷業に行き渡って30年。その後もIT技術が印刷業界を席巻する中、節目で適切な判断をして劇的なコストダウンや新市場の開拓に成功してきた面々は印刷業界の中で唯一コンピュータのわかった電算写植経験者が多かったからだ。彼らが今、印刷業界の中枢を担っている。当然、その意見は絶大な物だ。衰退し続けたこの30年間の印刷業界で、躍進を続けられたのはITを駆使した印刷会社だけなのだから、無理はない。

だが、私も含めてだけど、なまじコンピュータを知り、プログラムを書ける人種は容易にStatic おじさん化する。正直、もう私にはオブジェクト指向言語などわからない。また、なんでもかんでもブラウザ上でソフトウェアを構築していく手法も意味がわからない。だからといって、若い技術者の好きにやれということもできない。任せておくと、一人よがりで、まったく使えないソフトウェアを作ってしまうからだ。

使えない物は意味がないが、こちらが理解できないというだけで、素晴らしいソフトウェアや事業の芽を摘んでいないかどうにも気になる。もはや私が適切なアドバイスを若い技術者にできているかというといささか自信がない。オブジェクト指向言語とやらを理解するしかないのだろうか。ああ、もう勘弁してくれ。

ついにWindows10

Windows10である。すでに去年の7月に発売されていたが、なにせWindows8でひどい目にあったので、様子を見ていたのだ。そろそろ、10のプレインストールマシンも増えてきたし、なによりメインにしていたマシンの調子が悪く、いよいよ変えざるえなくなってきた。今、買うとしたらWIndows10しかない。

 で、印象としては8よりは格段にいい。とにかく8は勝手にインターフェースが変わってしまったり、突然フルスクリーンになったりと、あまりに変だった。結局慣れないままだ。はっきり言ってAndroidのようなタブレットOSを意識しすぎて、デスクトップでWindowsを使うという用途をないがしろにしているとしか言いようがない失敗作だった。
 Windows10はデスクトップで使うモードとタブレットで使うモードをはっきり分けている。どちらかに設定してしまえば、勝手にインターフェースが切り変わるというような馬鹿なことはなくなった。今回はデスクトップモードとして使っているが、これだと、7以前とあまりかわりない。

 もちろん、変わったところもある。一番とまどったのは、アカウントだ。最近のパソコンではアカウントがうるさく言われていて、どんな家庭用でもIDとパスワードをしっかり設定しないと動かなかった。だから、使い始めにはアカウントの設定を行うはずなのに今回それがない。で、どうするかといえば、マイクロソフトのIDをそのまま使うのである。マイクロソフトのIDは、以前なにかのソフトの登録のおりに取得していて、それを何気なく、使った。ところが、このIDにWindows10もマイクロソフトから買ったアプリも、クラウドストレージもすべて紐づけられてしまうのだ。この概念が理解しにくかったが、Windows10を使ってみて、これは確かに便利ではある。特にクラウドストレージがまるで自分のローカルのハードディスクのように使える。というか、そのようにマイクロソフトが仕向けている。アプリもパッケージではなく、Office365のようにクラウド版にしておくと非常にお得な設定になっている。マイクロソフトは消費者にあげてクラウドを使わせようとしているかのようだ。OSも含めてなんでもかんでもクラウドにあげてしまって、すべてをクラウド上で完結する時代への対応である。

 その意味で、パッケージソフトで勇名を馳せ、一介の学生ベンチャーから超巨大企業にのしあがったマイクロソフトがパッケージからクラウドへ舵を切った大きな変化の象徴がWindows10と言えるのではないか。Windows8はタブレットやスマホで主流のクラウドビジネスに操作法という外側から転換しようとして失敗したが、Windows10は使用感こそ従来のWindowsぽいが、中身はクラウドOSである。早速クラウドストレージを有効に使わせていただいている。確実に使用量の入るこの売り方の方が確かに賢い。

 ただ、すべてに便利ではあるが、これではマイクロソフトのWindows10を使っている限り、マイクロソフトの帝国に囲われてしまうことになる。このIDが悪用されたらと思うと、いささか怖い。マイクロソフトに個人情報すべてを握られているわけだから、購入履歴もなにもかも把握されてしまうわけだし、データも全部マイクロソフトに預けることとなる。もし漏洩とでもなったら、自分に関する情報から自分の使っていたファイルまでみんな流失してしまうことになる。

 Windows10の次、Windows11はもうないらしい。Windows10こそがパソコン最後のOS。あとはこれが細かく改良されていくだけだという。思えば、Windows2.0からはじまって、Windows3.0 3.1 95 97 XP VISTA 7 8 8.1とすべてにつきあってきたことになる。新しいものが出るたびに、使い方が微妙にかわって、混乱してきた。今度こそ本当に、これで最後のOSなのだろうな。

縦書きの必然性

 インターネットの世界は基本的に横書きである。だから今、みなさんが目にしているプログは横書きのはずである。ところが、このコラムも単行本にするときは縦書きにする。最新刊『電子書籍は本の夢を見るか』も縦書きである。だから元々横書き用の原稿を縦書きに直した。私の本に限らず、日本では大多数の本や雑誌は未だに縦書きである。科学読み物シリーズとして名高い講談社のブルーバックスも、基本は縦書きだ。相対性理論だろうが、量子力学だろうが縦書きで読む。これは世界では希有な例だろう。

 もっとも横書きを縦書きに直すと言っても、今はワープロソフトの横書き指定を縦書きにするだけで、何百ページでも一気に縦書きになってくれる。だから横書きであろうが縦書きであろうが、技術的には何も気にすることはないようにも思われるかもしれないが、そう甘くない。実は単行本化の第一関門が縦書きへの変換なのだ。

 まず、やっかいなのは、英文。元々横書きが原則のものを縦書きにするわけだから、どうにも困る。XMLのような三字の略語くらいなら、単に全角に置き換えて縦に並べてしまえば良い。ところがWindowsという表記になると、「W」「i」「n」「d」「o」「w」「s」と縦に並べると相当間抜けである。だからカタカナで「ウィンドウズ」と書いたりする。もっともカタカナ化ですべて解決するわけでなく「ウィンドウズ」はまだしも「アクロバット」とか「アンドロイド」ではなんかイメージが違うし、別の意味にもとれてしまう。数字もそうだ。横書きなら2016とさらって書いてしまえば良いが、縦書きとなると2016を横に寝かしたままにするか、「2」「0」「1」「6」と縦に並べる、あるいは二〇一六と漢数字にしてしまうなどの選択肢ができる。漢数字にするとしたって、二〇一六もあれば二千十六もありうる。縦書き化はあらかじめ原則を決めた上で、一個づつ検討する必要がある。縦書きと横書きは別物なのだ。単に、文章を表示だけ縦にしたり横にしたりしてもうまくいかない。

 ところが、電子の世界では縦書きと横書きが理論上は自由自在だ。そして、パソコンもスマホもタブレットも横書きがデフォルトだから、若者は、横書きの画面に慣れてしまっている。新聞サイトなどでも、縦書きの紙面をクリックすると同じ記事が横書きでただちにHTML表示されたりする。電子の世界は読む方のわがままが通る。文字の大きさやフォントもいくらでも変えられる。これが紙の本との最大の違いだ。そして、縦横さえ自由だから読み手は横書きで読みたいと思えば、横書きで読んでしまうだろう。

 電子書籍の世界でこそ縦書き表示は定着してきたが、WEBでは縦書き対応がされてこなかった。縦書きで読もうにも横書きしか表示できなかったのだ。特殊なソフトを使うか、PDFで表示しない限り縦書きはインターネットの世界では使えなかった。これではいくら縦書きの著作は縦書きでといっても、表示すらできなかったのだ。

 確かに、HTML5とCSS3の登場で、縦書きWEB表示は可能なっている。しかし、まだあまり縦書きウェブサイトにはお目にかからない。ブラウザによって縦書きへの対応が違ったりするのでWEB制作者はおいそれとは使えないのだ。これではいくら縦書きが可能と言っても絵に描いた餅だ。

 そうこうしているうちに、横書きにしか馴染みのない世代がどんどん増えてきている。紙の本どころか電子書籍も読まないで、ホームページやSNSばかり見ている層だ。しばらくしたら源氏物語を横書きで読んでもなんの違和感もない世代が登場するだろう。そうなれば、このWEB縦書き指定ですら単に文学史の研究者にしか必要がないものとなってしまう。あるいは文字は意味を表現できればいいのであって、縦書きとか横書きとかの体裁にこだわる必然性はないのかもしれない。

 縦書きというのは紙の本と一緒に消滅する運命なのだろうか。

紙型を知っていますか

 紙型をご存じだろうか。活版を保存する際、活字そのものを保存したのでは非常にかさばるので、凸活字を厚紙に押しつけ写し取って保存するという技法である。再版の際には、この紙型に鉛を流し込んで鉛版を作る。輪転機など丸い版を必要とする場合はそもそも活版では使えないので、紙版を作り、そこから湾曲した鉛版を作る。昔はどこの出版社にも印刷会社にもあったらしい。 出版社OBの人たちと話をする機会があって、紙型の話になった。活字組は印刷会社の仕事で、出版社はほぼその現場を知らず関心もないが、紙型は出版社にとって身近にあったもののようで、紙型をめぐって話がはずんだ。出版物は初版から儲かることはまずなく、再版以後が勝負だったから、紙型が利益を生む財産だった。そのため紙型は印刷会社ではなく出版社で保存することもあったらしい。紙型には再版の履歴とか、活字ではなく紙型の上での訂正とか、再版以後の印刷の営みが刻みこまれている。古い出版人は思い入れが強いようだった。出版史の研究者にとっても活字組版の研究が一巡した今、紙型には大いに興味をかきたてられるものらしい。

 だが、紙型は一時的な活版の代替物という認識だったせいか、また紙という経年劣化の激しい材質を使っていたせいか現存をあまり効かない。当社にも20年ほど前活版を廃止するときに記念にと残したものが数枚残存しているだけである。これはそろそろ系統的に保存しておかねば歴史の中に埋もれてしまいかねない。まだまだ探せば捨てられ損なった紙型が出版社の倉庫から見つかるのではないか。未来のためにぜひ保存しておきたいところだ。

 20年ほど前に産業としては終わった活版設備そのものは、結構遺産は残されていて、各地の博物館などに収蔵されている。特に活字はもともと量が多いこともあって、今でも目にする機会は多い。なにかのイベントの折には活字が景品として配られたり、活字を組む催し、果てはわざわざ美術品として活版で活字を作る試みも行われていたりする。

 しかし、ここでも実際の出版印刷物、それもページ全体の活字組がそのままの状態で残っているものはあまりない。当社でも活版を廃止するその日まで、ページを組んだ状態の活版が山ほどあったはずだが、活版廃止当日のうちにみんな崩してしまった。活字組は印刷が終われば紙型を取って崩すものだったからだ。組まれた状態のものを残しておかねばと思ったときにはもう遅かった。芸術としかいいようのない、数式組の組版も今やまったくない。本としては残っているが、それがどのように組まれ、積分記号や分数はどうやって表現されていたかという活版面の写真すら残っていない。

 終わったものは要らないもの。それは当然だが、現在に生きる者は未来に対して自分たちの生きた航跡を残す義務もある。歴史から学べることは多い。だから、残すべきものはしかるべき方法で残すべきだ。組まれた活字はもう遅いかもしれないが、あれば、是非プラスチックの容器にいれてでも保管していただきたい。活版は糸でとめられているだけだから糸が劣化するとあっというまに崩れる。たぶんあるとしても、すでに糸の経年劣化が限界に来ているはずだ。紙型はなおさらだ。是非残していただきたいし、将来、それが単なる厚紙の束でないことをしめす解説のひとつも書いて残していただきたい。博物館で収蔵できればなおいい。

 そして、次にモノタイプの紙テープ。電算写植のフロッピーなども保存の対象になってくるだろう。フロッピーなどはその読み取り装置と動かすOSも含めて保存しないとなんの意味もない。ある意味、これは活版や紙型以上の難物かもしれない。しかし今それをやっておかないとたぶん、20年後、50年後後悔することになるだろう。

 紙型を通じて、過去に思いをはせたところで、来年もよろしく。

IGASからDRUPAへ

 私は機材の展示会というやつが好きだ。今まで日本国内に限らず、世界中の展示会にでかけてきた。だから当然IGASとなれば行かないわけにはいかない。今回、少し遅めになったけれど、IGASを堪能してきた。

 先に、見学した人からは「今回は何も見るものがなかった」という声も聞いていたが、やはり行ってみるといろいろ発見があっておもしろい。ただ、あのIGASにして静かだなあというのが第一印象ではあった。さすがに地方の展示会のようにブースが埋まらないと言うことはないが、やはり入場者が少ないし、なにより、印刷の展示会なのに印刷機械が少ない。私がこの業界にはいったころは、それこそ展示会と言えば、工場が引っ越してきたかのような喧噪がつきものだった。うなりをあげて最高速で動くぴかぴかの印刷機械とべたべた貼られた「売約済み」の札が展示会を盛り上げた。この展示会の喧噪を通じて印刷会社は成長してきたのだ。

 静かな展示会は業界の疲弊のあらわれと早合点したくなるところだが、そうではない。つまり印刷機械を高速で回すだけが印刷ではなくなったからだ。今回広いブースを構えていたのは、従来の印刷機械メーカーではなく、コンピュータメーカーである。こうしたブースにはデジタル印刷機が並べられているわけだが、デジタル印刷機とはすなわちプリンタ。一昔まえはコンピュータ機器のひとつと考えられていたものだ。

 また、以前ならトムソンを使うような抜き加工にレーザーを使って焼き切るものがでている。トムソンといえば、巨大な機械が上下運動をし、それはそれはうるさかった。それがレーザーならほとんど無音、チリチリと紙が焦げる音がするだけである。

 こうした機器が正面に出るようになって展示会は静かになった。だから、静かになったのは業界の疲弊ではなく、印刷産業全体の重心移動なのだ。従来の高速大量の印刷産業から多品種少量生産へ、大量に作って大量に捨てるから、必要な物を必要なときだけ刷る産業への転換である。それがまさに静かな展示会の正体なのだ。ここを見誤って、静かであることと入場者の減少を結びつけたのでは業界の将来を見誤る。

 もちろん静かな機械は機械で、熱きバトルが繰り広げられている。いよいよインクジェットも正念場だ。各社の新製品はそれぞれに面白い。この中でどれが残っていくのか。新しい技術が誕生し、成熟して商品化していく過程を見られるのが展示会の楽しみだ。前回のDRUPAでコンセプトに過ぎなかったものが、今回のIGASでは実際に動いている。もしくは参考出品だったものが発売されている。残念なのはDRUPAの前年ということで、本当の開発目標がDRUPAにならざるをえないことだ。いくつものブースで「今回は時間切れだけれど、DRUPAには間に合わせます」という言い訳を聞いた。

 日本のメーカーにはもう少し奮起して欲しいなあと思う。DRUPAの前年ということは、DRUPA以前に発表できる、市場に投入できるいい機会だったと思うのだ。DRUPA前に実績が築けるではないか。それで日本で先行して世界に売り込むぐらいの心意気が欲しい。少々、未成熟な点があったとしても、思い切ってIGASで発表して欲しかった。展示会での新製品が惹句どおり動かないのはみんな百も承知。それでも未来を見たいのだ。

 IGASで新製品がでてこそ、DRUPAとの差違がつけられる。次回からIGASはDRUPAと歩調を併せて3年に一度となるという。世界にはライバルの展示会が増えてもいる。その中でIGASのいや日本の技術力を知らしめるのは、日本メーカーのIGASでの新製品投入ではないのかなあ。

 でも、もうすんだことだ。「DRUPAに間に合わせる」という言葉を信じるなら、楽しみが増えたことになる。あと半年。待ってろよDRUPA。

創業150年

 わが社の創業は1865年でまだ江戸時代、幕末のことだった。今年が2015年だから創立150年を迎える。創業当時はまだ活版すらなく木板の書肆としてのスタートだった。それ以来、明治の10年頃に当時の最先端である活版印刷をご先祖が導入。活版印刷の会社として、以後100有余年間、京都で公官庁中心の地味な印刷会社として営業を続けてきた。150年続いたのは、公官庁中心にそれほど規模は大きくないが確実な得意先をつかんでいたことと、意外と思われるかもしれないが、技術的には進取の気性に富んでいたからだと思う。

 出版学には明治20年の壁ということばがある。江戸時代から続いていた書肆は、明治20年頃を境にほぼ姿を消す。書肆という形態は、出版社と本屋、印刷屋をあわせたような業態で、江戸時代以前は出版の機能分化は進んでいなかったのだ。これは西欧でもそうで、グーテンベルクからしばらくは書店と出版社、印刷会社は兼ねられていた。西欧ではこの分化が200年ぐらいかけてゆっくり進むが、日本ではこれが20年ぐらいで一気に進む。それどころか、明治以後に発足した出版社や書店、印刷会社にすっかりとって替わられるのである。

 その大変革期をよくぞ乗り切ったと創業者の曾々祖父に感謝するばかりである。活版に変わってからは浮き沈みはあったようだが、活版の中西の時代が続いた。その間も保守的だったわけではなく活字の自動鋳植機であるモノタイプに早くから取り組んだりしている。企業という奴、よほどの保守的な業界でもない限り社会の変化に対応していかねば続かない。京都には茶道具などでそういう極めつけの老舗も多いが、たいていの企業は時代の波にもまれて苦しんでいる。特に和装関係などがそうだ。創業150年どころか300年というような老舗でも倒産してしまうご時世だ。

 当社もしかし時代を読み違えた時期がある。父の世代が活版にこだわってしまったのだ。モノタイプは導入したが、これはあくまでも活版を前提とした技術革新であり、手動写植、平版印刷とも長く手をださなかった。私が家業に入社したのもモノタイプにコンピュータの出力をつなげるというプロジェクトの支援をたのまれたからだ。このあたりは印刷学会出版部刊行の「学術出版の技術変遷論考」に詳しく書きましたんでぜひお買い上げください。

 で、結局、我々の世代は活版に見切りをつけ、電算写植と平版に舵を切るわけだが、活版から一気に電算写植化平版化を行うというのは相当な難事業であり、こちらも若かったからいろいろと軋轢も多かった。それからもう四半世紀すぎたわけだが、いまだにそのころの負の遺産が残っている。もちろん無事に150年を迎えられたのはこの変革が成功した証しなわけで、中西印刷150年の歴史の中で木版の活版化に匹敵する大事業をやり遂げた世代だと自負している。しかし、それで終わりではなかったのはみなさんご存じの通り。私をはじめ、当時電算化に携わった多くの人が思っていたのは、電算化とは紙へ印刷するための手段が活版や写植から電算に変化したのであって、あとは数百年あるいは永遠に電算で製作した紙の印刷の時代が続くと考えていた。もちろん事実は違う。紙への印刷そのものが画面にとってかわられようとしている。

 それで、今は必死になってこの時代への対応を模索しているわけで、この20年も続いている連載もこの時代の会社としてのあり方をめぐる七転八倒を描き続けているわけだ。

 それにしてもなあと思う。一生の間に二度も大変革の時代に遭遇するとはなあ。いくら変化が早いとはいっても、当事者としてはいささか理不尽な感じもする。これから200年250年と我が社が続くとしても悲運の世代として長く語り続けられるかな。もちろんまずは200年にむけて何をやるかだな

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