ポケモンGO

 とにかく大評判なのである。これをやらないのでは経営者として時代感覚とずれてしまう。で、ある日、街でSNSを見ていたら、前からスマホを見つめながら歩いてくる人がいる。「ははあん、これがボケモンGOか」かと思った瞬間、私はまだやっていないことにあせりを感じた。「やらなければ」と思えば、あとは簡単。なにせ、スマホのストアから無料アプリをダウンロードして、インストールするだけなのだ。最初は位置情報の根本であるGPS機能をオンにしていなかったり、スマホゲーム自体に慣れいないので、とまどったこともあったが、コツがわかれば簡単。

 ポケモンを探して歩き出すと、ただちに見つかった。スマホの中にモンスターがとびだしてくる。ARという技術を使って、実際の景色と合成されるので、あたかもそこにモンスターがいるように見える。もともと幼児から小学校低学年向けのゲームだからモンスターのキャラクターはかわいいが、目の前の景色の中にでてくると臨場感が違う。これをスマホを操作して捕まえる。捕まえると、スマホの中に今まで捕まえたモンスター達が表示される。これから、そうしたモンスターを育成したり、戦わせたりとまだまだ楽しい仕掛けがあるようだが、それはこれからおいおいと。

 結論。これは大人まで夢中になるのは無理はない。われわれはインベーダーで青春をすごしたテレビゲーム第一世代である。遊びと言えば麻雀でもパチンコでもなくTVゲームという世代の草分けでもあり、こうしたゲームにもそれほど違和感はない。面白いものは面白い。ただ、さすがに世代的にポケモンGOの元になったゲームボーイ版のポケモンは経験してこなかったから、育成や戦闘といったところの原理がいまひとつわからない。これらがすでに常識として組み込まれた世代なら、さぞ興奮するだろう。

 ポケモンGOは人工衛星からのデータで自分のいる位置を正確に割り出すGPSと、コンピュータの仮想世界と現実世界を組みあわせるARを使ったゲームである。よくよく考えると子供の遊びに使うにはもったないともいうべき超ハイテク技術を駆使している。

 実はARというやつ、印刷業界ではこの新技術を味方につけようと、色々な試みが行われてきた。印刷関係の展示会などでもよくお目にかかった。カードゲームをやりながらカードをスマホで写すとモンスターがカードの上に立ち上がるといった類いのシステムだ。印刷業界としてはこのカードの印刷はもちろんのこと、これと組み合わせるARを市場に売り込むことに未来をみていたわけだ。しかし、正直言って印刷業界からヒットは産みだせいないまま、ポケモンGOという大ヒットが他所から生まれた。

 つまり印刷とARの組み合わせではヒットを生み出せなかったが、GPSとARの組み合わせでは大ヒットがでたことになる。もちろん、ただ単にGPSとARを組み合わせただけでヒットしたわけではなく元祖位置情報ゲームINGRESS以来の位置情データの蓄積、元々のポケモンというコンテンツそのものの人気も大きく寄与しているとは思う。ゲームは時代時代の最新技術を貪欲に吸収しつつ、次々に才能をえてあらたな文化を生み出し続けて
いる。

 逆に言うと印刷業界および出版界は、漫画や小説はじめ莫大なコンテンツの蓄積があったにも関わらず、これをARとうまく結びつけられなかったことになる。これは大いなる反省点だ。たぶん、これからポケモンGOの二番煎じ的なゲームは山ほどでてくるだろう。漫画のキャラがスマホの中で暴れ回るような。

 ただ、今印刷業界にとっては、本当に必要なのは、二番煎じではない。なにか根本的に違うあたらしいもの。今
はスマホごしでないとARが使えないが、これを、紙の表面に特殊な加工をするだけで、ARとなるようなものを作るというのは・・できないかな。

魔法の社長

 私事ですが、実は社長になりました。このコラムの題名が「若旦那奮闘記」であったのは本当に「若旦那」だったからだけれど、コンピュータ印刷技術を使って業界で暴れる「若手」という意味をこめていた。50歳を迎えたとき、「さすがにもはや若旦那でもないだろう」と現在の題名「元若旦那のIT奮闘記」という名前にしてもらった。このいささか生煮えな名前で、それからさらに10年、やっと本当の「旦那」になりました。ただ、「若旦那」という名称は、私のトレードマークになっていて、とりあえず、この題名であと1年は続きます。

 振り返ると、30歳前後で電算写植というものとともに、印刷業界に忽然とあらわれた私も含めたコンピュータ使い達も、もう60歳になったわけだ。我々の世代、けっこうコンピュータには苦労した。初期にはプログラムを書かないと使えなかったし、ありとあらゆるトラブルも経験させていただいた。だから、結構コンピュータのハードにもソフトにも詳しいのだ。たとえばSEDとかAWKといったソフトを使って文字情報処理をやっていたのだが、もう今はこんなことが出来る人も多くないだろう。当時、コンピュータに数値処理だけではなくて、文字処理を行わせることができるようになって、さまざまな文字列変換を一気に行って、原稿中の漢数字を一気に英数字に置き換えたり、旧漢字を新漢字に統一などという処理が一瞬でできた。活版や手動写植しか知らない上の世代に良くいわれたものだ。

「まるで魔法の様だね」

 そう言われると得意気に鼻をうごかしていたのを思い出す。コンピュータ使いは知らない人から見ればまさに魔法使いなのだ。でも、当時はそれなりに、数学や情報理論を勉強したからこそ使える魔法だった。つまりコンピュータという魔法を使うには修行が必要だったのだ。

 そう考えると、今のスマホなどというのは魔法の「よう」ではなくて、魔法そのものではないか。タッチパネルをたたくだけで、いや、いよいよ音声認識機能が実用になってきたから、スマホに語りかけるだけで、なんでも言うことを聞き、おのぞみのまま、音楽を奏でたり、調べ物をしてくれたり、電話をかけてくれたりする。まるでアラジンと魔法のランプだ。

 そういえば、ほんの十数年前のハリーポッターの映画では本の中の図が動きだすという場面があったが、これは魔法としてだった。だが今や、電子書籍の中で動画が表示されるなどというのは、別に珍しくもない。
 こうなるとハイテクなのか、魔法なのか区別をつけることがおかしいのかもしれない。なまじコンピュータの原理なんて知らなくても、動かすための呪文さえ知っていればいい。それは魔法であろうとコンピュータであろうと使う分にはおなじだ。

 ただ苦しいのは、みんなが魔法を使えると、魔法を使うこと自体は付加価値でもなんでもありゃしない。みんながコンピュータを使えると、コンピュータを使うこと自体は付加価値でも何でもありゃしないのと同じく。

 でも、付加価値がないからしょうがないと居直っている場合じゃないよ。社長さん。魔法は使えるのはもう解っているんだから、その魔法を使ってあらたな付加価値をのせればいい。ツイッターもfacebookも別に新しい魔法を作ったわけではない。コンピュータネットワークという人と人をつなぐ魔法を使って、ソーシャルネットワークサービスという新しい付加価値を創造したわけだ。それが魔法のように金を産んだ。

 今は社員はみんな魔法使い。それを無駄に使うか、あらたな付加価値を生みだせるか。それだけは社長の力量であって魔法ではない。コンピュータという魔法はあくまで道具。それで何を作るかは社長次第。わかってはいるけれど、ポケモンGOみたいな新製品を作る魔法を特別にだれか伝授してくれないかね。

還暦の往復ハガキ


 私事、私、誕生日を迎えて60歳、還暦を迎えた。月日の流れるのは速い。ところで年齢はみんな等しくとるわけで、サラリーマンになった同級生もみな60歳。今年は定年だとかまびすしい。それならばと、みんなが還暦と定年を迎えたところで、同窓会をやろうということになった。

 こういうとき、地元に残った自営業者が幹事をやるのは当然の成り行きで、該当者筆頭の私が名簿整理と案内状の送付を引き受けた。でもこうした作業も昔に比べて本当に楽になった。既存の同窓生名簿をもとにEXCELを使って、送付リストを作成し、ハガキ作成ソフトに落とし込めば、一気に案内状ができてしまう。
 さて、ここで考えた。いっつも面倒なのは、ここからだ。往復ハガキにして返事をとっても、そこからまた出欠をEXCELに書き写さねばならない。それならば、いっそ、入力フォームにしてインターネットから直接出欠を入力してもらえばいいのではないか。そうすれば、出欠名簿は自動でできるし、事後の問い合わせもメールベースでできる。

 さいわい、入力フォームは今クラウド上で無料提供しているサイトがいくらでもある。ただ、同級生のメールアドレスがわからないので、とりあえずはフォームのURLを書いた案内ハガキをだすことにした。もちろん、URLを入力するのが苦手という人もいるだろうから、URLをQRコードにして案内ハガキに刷り込む。こうすればQRコードをスマホで読み込むだけでフォームにアクセスできる。これは完璧。すばらしいアイデアと幹事にも自慢した。
 だが、結果は諸氏ご賢察の通り、往復ハガキの時より、返事が少なかったのである。還暦同窓会だからと企画段階ではけっこう盛り上がっていたのにである。そのうちハガキが届きだした。「返事がしたいのだけれど、パソコンもスマホも使っていないのでハガキで出します。ごめんなさい」というものだ。反省しきり。かならずしも、みんながパソコンやスマホを使っているわけではない。

 私たちの世代は、大学のときにすでにパソコンがあり、社会に出てからもそれを使い続けたはじめての世代だ。その後もコンピュータとネットにはまりこんで還暦にいたった。だから、当然同世代のみんながそうだと思っていたが、意外にそうでもない。メールとフォームの方が便利というのは思い込みにすぎなかったのだ。

 それに、ハガキの通知でフォームでの入力を促すというのはむしろ面倒ということもある。往復ハガキだと往信を読んで、ペンを取って返信を出すまでが一連の動作でできるが、フォームだと、案内ハガキを持って、パソコンの前にすわり、URLを打ち込む手間がいる。それをしなくてもすむようにQRコードも用意したわけだが、慣れていない人にとっては操作法から覚えなければならず、助けになっていない。このことを逆から証明したのが、メールアドレスがわかっている人にフォームのURLをメールで通知した場合、返信率が高かったことだ。

 もうひとつ感じたことがある。恩師にはさすがに高齢の方が多く、往復ハガキで出欠を確認したのだが、数多くの返信ハガキにご家族からの「恩師ご逝去」の通知があったことだ。我々が還暦と言うことは、その恩師の世代はすでにかなりのご高齢で無理もないことではある。

 しかし、もしも往復ハガキではなかったとしたら、ここまで御消息がわかっただろうか。ご家族はより対応できず、おそらく、単にフォームへ返事がないだけになっていただろう。紙のハガキは私信とはいえ家族も見ることができる。ご逝去された方へなら、むしろ積極的に故人への私信も読まれる。メールやフォームはあくまで個人を対象とし本人しかつながらないツールたが、ハガキは本人だけでなく家族もつないでいく。

 紙の新聞をみんなで回し読みする家族の絆といったものにも通じるのかもしれない。

電子メールの崩壊

電子メールというものを使い出して、もはや30年近くになる。ワープロの登場で手書きという習慣をなくしていた私にとって、入力したものをプリントせずにそのまま送れる電子メールは便利この上ないものだった。最初は使っている人がごくすくなく、一般的な連絡には使えなかったが、インターネットの時代になって、あっというまに普及した。誰もがビジネスでもプライベートでもなんらかのメイルアドレスをもつようになった2000年以後、たいていの連絡は電子メイルですむようになった。その上、添付ファイルという便利なものができて写真までも電子で送れるようになった。当初は回線速度が遅く、ファイルサイズの大きい写真など送られると迷惑したが、ADSLとか光回線とかが普及して、気にもならなくなった。このコラムの原稿も当初から電子メールで送稿し続けている。だが、ついに電子メールが崩壊しつつある。

 まずは、大量に入ってくる宣伝メールやメ-ルマガジンの類い。これをさばき切れない。重要なメールが宣伝メールの中に埋もれてしまう。インターネットで物を買ったり、情報を得たりすると、メールアドレスを書かされるのだが、それがいつのまにか百倍に増殖して宣伝メールとして襲いかかってくる。なんとか「配信停止」をしようと、配信元のサイトにアクセスしてもうまく停止できない。それどころかまた別のメールマガジンの配信の登録をしてしまったりする。宣伝メールの中から、必要なメールを探し出すために、フィルタリングなどのメールソフトの機能を使いこなす必要があるが、これがなかなか一筋縄ではいかない。それに設定するのも面倒だ。

 もっと、こわいのはウィルスメールに詐欺メール。最近では、非常に巧妙な物が増えて、ちょっと見たぐらいではウィルスや詐欺とは気がつかない。気がつかずにウィルスに感染したりすると大変なことになるのはもう周知の事実だ。結局、「なるべく添付メールは開かないようにしましょう」などという通達がまわってくることになる。これで
は、せっかくの便利な機能も意味がない。

 その上、やっかいなのはSNSの隆盛によって、特に若い人が紙の手紙(メール)どころか電子メールをまともに使えなくなってきていることだ。とにかく彼らは要件を細切れにして、次々送ってくる。そして、すぐに返事を書かないと怒る。そうLINEやメッセンジャーのごとく。

 手紙の場合、なんどもやりとりするわけにはいかないから、時効の挨拶からはじまり、要件はいくつかにまとめて一通の手紙でだした。受け取るほうも何日か後にまとめて返事する。当初の電子メールはまさにこの手紙の機能をなぞっていた。見るのもデスクトップパソコンにたどりつける1日1回であればいい方、場合によっては一週間に1回ということすらあったが、「手紙」なので気にもならなかった。まさに電子だが、メールだった。

 今は、常時ネットにつながっているのが前提だから、デジタルネイティブの若者は要件を思いついたときに細切れにメールを送ってくる。そして読まれたらただちに返事を送り返さねばならない。おそらく彼らにとって、電子メールとはもはやメール(手紙)ではない。数あるSNSの中の使いにくい危険なツールでしかない。というより連絡にはSNSを使うことが前提となってきている。

 はっきり言おう、もう電子メールはよほどコンピュータに慣れた人でないと使いこなせなくなった。大量の広告メールの山から必要なメールをとりだし、決してウィルスなどにかからず、SNS感覚のコミュニケーションツールとして使いこなす。これは相当のITスキルがいる。それができないなら、もう電子メールは使えない、というより役に立たない。

 ICT社会、我々はどこへ向かおうとしているのかという問いをまた発する日々。

drupaに思う

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 drupaに行って参りました。4年に一度の印刷業界最大の展示会。というより、お祭り。drupaで出品された細かい技術情報は他の記事に譲るが、やはり前回のdrupaに引き続き、インクジェットdrupaバージョン2というのがまさに今回を言い表しているだろう。各社からでているインクジェット機は、大判で高速かつ、高品質となってきている。バリアブルはあたりまえで、今や、どんな素材にするか、どれくらい厚塗りできるかなどの付加機能の勝負になってきている。印刷する面は平面でなくともよく、ボールやボトルのようなものにまで印刷できるようになっている。

 そしてその延長上にあるのが、今回目立った3Dプリンタだ。デジタルデータを素材に印刷された層を盛り上げて形を作るという意味では、ある意味インクジェットの延長でもある。各メーカーがブースの一部に3Dプリンタを並べていたが、これは前回もあったのかもしれないが、これほど目立つことはなかった。この4年間の大変化だろう。

 drupaは現実の製品より近未来の技術展示をする場と言われる。とすれば、数年後には世の中はインクジェットとか3Dプリンタばかりになってしまうのだろうか。今はとてもそんなことにはなりそうもないと思える。だが、ひと昔前、固体トナー系のデジタル印刷機がオンデマンド印刷機と呼ばれていた頃、こんなに津々浦々の中小の印刷会社にまでデジタル印刷機が行き渡るとは誰も思ってもいなかったわけで、やはりそうなっていくのだろう。

 新技術の普及というのは、ある日突然起こる。何年かけても普及しないでようでいて、普及するときには一気に変わる。もちろん、普及しないまま消えていく技術も多いわけだが、変化を軽視していると、あっというまに時代から取り残される。それを実感するだけでもdrupaを見る価値はある。

 そしてもうひとつ印象に残ったのは、会場でも街でも多くみかけた中国人の姿だ。前回のdrupaでも中国人見学者はいたが、今回出展の方に中国系を多く見かけた。中国系の出展というと前回は粗末なブースに素朴だが安価な機械を並べてというところが多かったのだが、今回は五星紅旗をかかげたブースに結構デザイン的にしゃれた展示や垢抜けた販売員の姿が目立った。彼の国はどんどん発展している。そして中東からだろうか、浅黒い肌に、アラビア文字のパンフレットを持った人にも大勢お目にかかった。石油を掘り尽くす前にあらたな産業を興そうという強い意志を感じた。

 翻って気になるのが、見学者に日本人の姿が少ないことだ。これは統計を見ないと正確なところはわからないが、東洋人とみると中国人だったということが多かった。今回のdrupaについては、日本の業界人から「いまさらdrupaでもないよ」と、訳知り顔に言う人が多くいた。卓見ともいえるし、厳しい業界情勢を反映してdrupaどころではないのかもしれない。

 正直なところ、3Dプリンタと言われても中小の印刷業者の身で何をどうやればいいのか、迷う。だが、これでは中国パワーに負ける。まだできるはず、まだやることがあると貪欲に新事業を追い求めることで業界は活性化する。実際、高度経済成長期の頃の親父さんたちはdrupaで貪欲に新事業の種を仕込んでいた。
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 「今、会社が大きくなったのはdrupaであの機械を見たおかげです」
 と語る人を身近に知ってもいる。それがなぜ、今の業界人にはできないのか。日本の衰退のあらわれと諦めてしまうのはあまりにさびしい。

 もちろん、新しい機械さえ入れれば、会社が繁栄するというものでもない。だけれど、それは昔だって同じこと。数年後の技術を見て、数年後のビジネスを考えるのが経営者だと思うのだ。で、私はこのdrupaで何を見、どんなビジネスを考えたか。それは秘密です。

ベントン彫刻機の謎

 出版学会の見学会で大阪のモトヤの資料館に行ってまいりました。印刷業界人なら誰もが知っているように、モトヤは活字販売の老舗。モトヤ活字というと当社もずいぶんお世話になりました。そのモトヤさんも、1996年に活版から撤退したというから、もう20年になる。当社の活版廃止はそれより少し前の1994年。活版は20世紀の終わりとともに日本から消えていった。2000年紀(西暦1001年から2000年)最大の発明と言われた活版印刷術もまさに20世紀とともに姿を消したわけだ。現在、活版は美術品や文化財的な残り方はしているが、産業としては終わっているといっていいだろう。

 展示されている活字の母型や鋳造機など、私にもなじみが深い。入社したころはまだ活版が現役だったからだ。歯車とてこで動く油にまみれた機械と大勢の熟練の職人さん。それが私の入社した頃の印刷会社の光景だった。モトヤさんは、その上流工程に遡り、活字だけでなく、その元となる母型を作られていたようだ。
 活版展示の正面にあったのが、そしてベントン彫刻機である。

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「ベントン彫刻機」。その名前は知っていた。当社にもベントン彫刻機の原版というものが残してあるからだ。なくなった先代社長が活版をやめるときに、これは保存しておけと言い残していたものの一つだった。5センチ四方程度の亜鉛の板に、文字が正像陰刻で刻まれている。ただしごく薄くである。元々原版の亜鉛板が薄いから、そんなに深くは彫り込めない。原版自体は手で刻むのではなく、手書き文字を腐食法で転写するらしい。

 父からはこれを「ベントン彫刻機」にかけると、この亜鉛の原版の文字が縮小されて真鍮の母型が彫刻されると聞かされていた。しかし、どうやって実際に縮小して彫刻するのかは謎のままだった。しかも、私は活版よりも電算の方に夢中だったから、それをあえて深く追求することもなかった。最近になって、活版が古き良き時代の本文化を支えたとして見直され、当社のミニ活版博物館にも見学者が来られるようになっても、ベントン原版は「これを元に母型を作った」程度の説明しかできなかった。

 ベントン彫刻機、それはあまりに巧妙な仕組みだった。大きな字の原版と母型彫刻部分はつながり、さらに支点で支えられている。上から支点、彫刻機、原版の順番で並ぶ。これで原版をなぞると、その動きがそのまま彫刻機に縮小されて伝わるというわけだ。この仕組みだと、彫刻機と原盤の位置を変化させるだけで、縮小率も変化させられる。父はこの機構をパンタグラフといっていたが、むしろてこと考えた方がいい。彫刻自体は高速回転する刃が削るようになっている。

 ベントン彫刻機の普及で一字一字手彫りしていた活字の原版を、紙に大きく手書きしただけで作れるようになったわけで、活字母型の生産性向上や書体開発などにも大きく寄与し、戦後の日本の印刷技術を大きく発展させたという。160409_0720


 そういえば、この戦後の同時期に発展することになる手動写植の数々は同じく大阪のモリサワさんの博物館に保存されている。活版と平版の違いはあれど、当時の印刷技術者は大阪で努力を重ねていたわけだ。

 その後、私の時代以降は、本欄でコンピュータ奮闘記・IT奮闘記で書き続けたように、印刷、ことにプリプレスは電子技術一辺倒になる。モトヤさんも今は電子フォントが事業の中心だということで、歯車とてこの時代は遠くになってしまった。

 もちろんこの博物館には、和文タイプや初期の電子組版機も展示されていた。こうした初期電子組版機は入社したてのころ、良く売りに来ていたのを思い出す。あれからもう30年たつのだ。そろそろ初期電子組版機なんていうのも、集めて研究しておかないと、ベントン彫刻機のように忘れられた機械になりかねないよなあ。

試験問題に使われました

 見慣れないところから郵便物が届いた。あけると某大学の学長名でこんなことが書いてあった。「このたび本学2016年度入学試験におきまして、下記著作物を使用させていただきました。

『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』」

この本は、2010年発売。このコラムをまとめたものである。つまりはこのコラム自体が入試問題に採用されたのだった。使われたのは2007年の「活版を知らない子供たち」と2009年の「電子式年遷宮のすすめ」の2本である。こうして採用されてみると、なにか他のコラムより出来がいいような気もしてくるのが不思議なところ。印刷・出版関係の本というのは本に埋もれて暮らしている大学の文系の先生にとっては身近なので、手にとっていただいていたのだろう。それがめぐりめぐって入試問題になったということなのだ。

「活版を知らない子供たち」は、活版を知らない新入社員が増えたことを嘆き、インターネットの時代だからこそ、ずしりと重い活字が文化を支えてきたことと、我々印刷業者はその末裔であることを誇るべきだという主張である。

 そして「電子式年遷宮」の方は、結構あちこちで引用いただいている私の造語だ。電子データは大量に複製されて、容易に拡散するけれど、長期保存にはハードやOSの進化が速すぎて向かない。だから、時代時代に適したかたちにデータを移し替えておく必要がある。あたかも神社が何年かに一度、お社を全部建て替えて、神様を移っていただくように。

 試験問題は2つのコラムを読ませ、それについての設問という形式になっている。どちらか一方が問題になっているのではない。

 これが正直難しいのである。筆者みずからが自分の文章についての問題が解けないという変な状況に陥ってし
まった。特に最終問はお手上げだった。長くなるけれど引用する。

[この2つのエッセイは、どちらも傍線部a「この台詞、電算写植だDTPだと、盛んに旗をふっていた20年前の私にプレゼントしたいなあ」と、傍線部b「『だからやっぱり印刷だよ』という結論にしたいところだが、マルチメディアコンテンツをどうやって紙に保存するかという問題に降参だな」のようにややくだけた調子で終わっているが、ここに共通している著者の姿勢を最も端的に表している一文を抜き出しなさい。]

 わからん。本当にわからん。私のこのコラムは、オチをつけようと思うので、割と最後がおちゃらけた感じで終えることが多い。でもそれはどういう心理の結果なんだろうかと問われても、困惑するばかり。

 前者は活版をほめて、そして最後に、電算化の過激派だった私が、変節したことを自分で皮肉っている。後者は、電子の世界にはいろいろと面倒なことが多いから紙の方がいいという結論にしたいが、それでも、やはり電子にはかなわないと嘆いて見せる。そこまではいい、ここに共通する著者つまり私の姿勢とはなんだ。そして、それを一番よくあらわしている一文というとどれなんだ。

 聞くところによると、こういう試験問題は作者でも解けない場合が多いという。試験問題は独立した作品とも言うべきものなのだ。

 どうしてもわからないので、受験勉強をやったばかりの大学生の息子(文科系)に解かせてみた。彼いわく、こういう場合、解法の定石がある、くだけた調子というのは、仲間向け、もしくは子供向けと解釈するという。そして二つのコラムに共通するのは紙の重要性の認識だと彼は喝破した。従って、彼の解答は「活版を知らない子供たちには、活版のことを語り続けねばならない」だという。正解かどうかはまだわからないが、私の心理の奥底にはそれがあるということかあ。

 私の深層には活版が根強く居座っていることと見透かされましたか。本コラムまとめの最新刊は「電子書籍は本の夢を見るか」です。
 

男親の読み聞かせ

 「読み聞かせをすれば、子供がぐんぐん伸びる」という言葉を信じたわけではないが、男の子2人の子供が小さい頃よく本を読んでやった。男親と子供との関わりというと、外でキャッチボールというのが正しいらしいのだが、根っからのインドア派の私は子供との関わりというと部屋で模型をくみたてたり、一緒に本を読んでやったりということになるのだ。

 本当にちいさいころは定番どおり、絵本を読んでやった。1歳児用、2歳児用とこまごまといろんな絵本があった。絵本にはページをめくるたびに驚かせたり、喜ばせたりと仕掛けがあった。子供は素直で、驚くところでは驚いてくれたし、喜ぶところでは喜んでくれた。このころ子供に人気だったのは、たかくあけみの「やぎのめーどん」である。ただただ、やぎと子供が遊んでいるだけなのだが、「めーどん、めーどん、めーめーどん」というリズミカルな表現が読んでいても楽しかったし、子供も喜んでいた。夜になると、子供がこの絵本をもってきてろくに言葉も話せないのに「めーどん、めーどん」と言って読むのをせがむのである。

 もうすこし大きくなると、絵本では飽き足らないのか、図鑑が好きになった。恐竜や太古のほ乳類といった図鑑がお好みだった。ただ、名前が書いてあるだけなので、そのまま読んだのではつまらない。恐竜の名前を「ぱあ-きけふあろおさあうるすう(パキケファロサウルス)」と大げさに読んでやると、キャッキャッ喜んだ。おかげで恐竜の名前には詳しくなったし、「エレファスファルコネリ」なんていう、わたしたちの子供のころには聞いたことも見たこともない動物の名前を知ることになった。ちょうど恐竜にも羽毛があったというのが判明し、一気に恐竜の復元図がかわったころだった。それにいちいちこちらが感心していたら、子供に伝染したのか。ある日、よそのおかあさんにかたっぱしから「ねえねえ知ってる。恐竜にも羽があったんだよ」と語りかけているのには少し恥ずかしかった。子供は正直で、こちらの感心がそのまま子供の心にもダイレクトに伝わるのだ。

 恐竜の名前を連呼するだけでは、情操上問題があるのではないかと妻が言うので、寝る前に童話を読んでやるというのもやった。ただ、字ばかりの本には子供はあまり興味をしめさない。「よい子の童話集」に挿し絵も載っているが、いかにも上品で、恐竜の絵に慣れている子供たちは喜ばない。そこで、インドア派の必殺技が登場だ。若いときから、能や狂言、歌舞伎を見続けているし、演劇も経験あるので、抑揚と感情を思いっきりこめて読む。これは結構うけたのだが、面白いだろうとあまりやりすぎると、子供はむしろしらけてしまうということもわかった。ほどほどが大事なのだ。

 童話の読み聞かせというと、思い出すことがある。あれは確か寝床でオスカーワイルドの「幸福な王子」を読んでやっていたときだ。もちろん、このお話は派手な話ではないし、最後は悲しい。あまり感情をこめないで淡々と読んでいた。子供たちは、おとなしく聞いていたかな。そして、最後にかかるころだった。泣いていたのだ。いや、子供ではなく、一緒に寝ていた妻が。隣で週刊誌をみながら、実は「幸福な王子」を一緒に聞いていたのだ。子供たちは泣くところまではいかなかったけれど、静かになっていた。たぶん、幼な心に感動していたのだろう。私は、子供たちをぎゅっと抱いてやった。家族みんなで、感動を共有できる。これが読み聞かせの本当の意味なんだなあと思った。

 その後、子供たちがぐんぐん伸びたかどうかは、もう少ししないとわからない。でも、2人ともすごく積極的で、クリエイティブな大人になるつつあることだけは確かだと思う。いいですね。読み聞かせ。


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『やぎのめーどん』たかくあけみ 福音館書店 ISBN978-4-8340-8073-5

Static おじさん

このおじさんは、IT界隈に大量に出没しているらしい。オブジェクト指向言語を理解できない時代遅れのおじさんのことをそう呼ぶ。これが単に馬鹿にされているどころではなく、若いプログラマにとっては迷惑きわまりないのだ。単に理解できないどころではなく、自分で理解できる時代の書き方でプログラムを書くことを若いプログラマに要求するからだ。オブジェクト指向言語でも、昔風のプログラムが書けるstaticという宣言をやたら書くというおじさんの癖を揶揄してついたようだ。

内容はともかく、私もそんな風に思われているんじゃないかとちょっと怖くなった。

IT界隈の進展は速い、Staticおじさんがプログラムを覚えた頃に最先端だった技術も、今や化石だ。もちろん、年をとるにつれ現場で働くことはなくなり、指示したり、教育したりのという立場になるわけだが、そのためにも新しい技術を理解しなければならない。しかし、なかなかそれができない。若い頃に覚えた知識とは根本的に違うプログラム言語体系になっている上に、年を取ってくると新しいものが覚えられなくなる。

部下に自分のわからないプログラムを書かれたのでは、その善し悪しもわからない。結果として、自分のわかるようなプログラムコードを書けという指示をだすことになってしまう。これが、Staticおじさんだ。

若い技術者にしてみれば、せっかく学校で最先端の技術を習ってそれを実務で試そうとしても、指示は「年寄りのわかるような古いプログラムを書け」と言われるわけだからたまらない。質が悪いのは、Staticおじさんは若かりし頃、会社内の他の誰もコンピュータやプログラムがわからない環境の中で、華々しい活躍をしたため、自分で実力があると思いこんでいることだ。その実、活躍の内容は出来合のアプリケーションを単に使っただけだったりするのだが、それを自分の手柄のように思い込んでいる。

会社上層部はStaticおじさんを今でも実力があると思っているから、こぞってStaticおじさんの肩をもつ。これでは、若い技術者は続くまい。IT技術者が定着しないとお嘆きのあなた。実は、待遇や給与以前にこういうことでやる気をなくさせているのだ。逆に給与や待遇面だけでは、IT技術者は働いてくれない。

Staticおじさん類似人種は、印刷業界にも大量にいそうだ。電算写植で有名をはせたコーダーなんていう人たちも30年たってお偉方になっている。最近、業界の会合などで話をすると、若い頃電算写植からスタートしたという人によく出会う。電算写植が中小印刷業に行き渡って30年。その後もIT技術が印刷業界を席巻する中、節目で適切な判断をして劇的なコストダウンや新市場の開拓に成功してきた面々は印刷業界の中で唯一コンピュータのわかった電算写植経験者が多かったからだ。彼らが今、印刷業界の中枢を担っている。当然、その意見は絶大な物だ。衰退し続けたこの30年間の印刷業界で、躍進を続けられたのはITを駆使した印刷会社だけなのだから、無理はない。

だが、私も含めてだけど、なまじコンピュータを知り、プログラムを書ける人種は容易にStatic おじさん化する。正直、もう私にはオブジェクト指向言語などわからない。また、なんでもかんでもブラウザ上でソフトウェアを構築していく手法も意味がわからない。だからといって、若い技術者の好きにやれということもできない。任せておくと、一人よがりで、まったく使えないソフトウェアを作ってしまうからだ。

使えない物は意味がないが、こちらが理解できないというだけで、素晴らしいソフトウェアや事業の芽を摘んでいないかどうにも気になる。もはや私が適切なアドバイスを若い技術者にできているかというといささか自信がない。オブジェクト指向言語とやらを理解するしかないのだろうか。ああ、もう勘弁してくれ。

ついにWindows10

Windows10である。すでに去年の7月に発売されていたが、なにせWindows8でひどい目にあったので、様子を見ていたのだ。そろそろ、10のプレインストールマシンも増えてきたし、なによりメインにしていたマシンの調子が悪く、いよいよ変えざるえなくなってきた。今、買うとしたらWIndows10しかない。

 で、印象としては8よりは格段にいい。とにかく8は勝手にインターフェースが変わってしまったり、突然フルスクリーンになったりと、あまりに変だった。結局慣れないままだ。はっきり言ってAndroidのようなタブレットOSを意識しすぎて、デスクトップでWindowsを使うという用途をないがしろにしているとしか言いようがない失敗作だった。
 Windows10はデスクトップで使うモードとタブレットで使うモードをはっきり分けている。どちらかに設定してしまえば、勝手にインターフェースが切り変わるというような馬鹿なことはなくなった。今回はデスクトップモードとして使っているが、これだと、7以前とあまりかわりない。

 もちろん、変わったところもある。一番とまどったのは、アカウントだ。最近のパソコンではアカウントがうるさく言われていて、どんな家庭用でもIDとパスワードをしっかり設定しないと動かなかった。だから、使い始めにはアカウントの設定を行うはずなのに今回それがない。で、どうするかといえば、マイクロソフトのIDをそのまま使うのである。マイクロソフトのIDは、以前なにかのソフトの登録のおりに取得していて、それを何気なく、使った。ところが、このIDにWindows10もマイクロソフトから買ったアプリも、クラウドストレージもすべて紐づけられてしまうのだ。この概念が理解しにくかったが、Windows10を使ってみて、これは確かに便利ではある。特にクラウドストレージがまるで自分のローカルのハードディスクのように使える。というか、そのようにマイクロソフトが仕向けている。アプリもパッケージではなく、Office365のようにクラウド版にしておくと非常にお得な設定になっている。マイクロソフトは消費者にあげてクラウドを使わせようとしているかのようだ。OSも含めてなんでもかんでもクラウドにあげてしまって、すべてをクラウド上で完結する時代への対応である。

 その意味で、パッケージソフトで勇名を馳せ、一介の学生ベンチャーから超巨大企業にのしあがったマイクロソフトがパッケージからクラウドへ舵を切った大きな変化の象徴がWindows10と言えるのではないか。Windows8はタブレットやスマホで主流のクラウドビジネスに操作法という外側から転換しようとして失敗したが、Windows10は使用感こそ従来のWindowsぽいが、中身はクラウドOSである。早速クラウドストレージを有効に使わせていただいている。確実に使用量の入るこの売り方の方が確かに賢い。

 ただ、すべてに便利ではあるが、これではマイクロソフトのWindows10を使っている限り、マイクロソフトの帝国に囲われてしまうことになる。このIDが悪用されたらと思うと、いささか怖い。マイクロソフトに個人情報すべてを握られているわけだから、購入履歴もなにもかも把握されてしまうわけだし、データも全部マイクロソフトに預けることとなる。もし漏洩とでもなったら、自分に関する情報から自分の使っていたファイルまでみんな流失してしまうことになる。

 Windows10の次、Windows11はもうないらしい。Windows10こそがパソコン最後のOS。あとはこれが細かく改良されていくだけだという。思えば、Windows2.0からはじまって、Windows3.0 3.1 95 97 XP VISTA 7 8 8.1とすべてにつきあってきたことになる。新しいものが出るたびに、使い方が微妙にかわって、混乱してきた。今度こそ本当に、これで最後のOSなのだろうな。

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