オープンアクセスとは要するに、「只で雑誌を見させろ」ということだ。インターネット時代になって、情報は只で手にはいることが多くなった。Wikipediaなんて、あれだけの情報が只で提供されているわけだし、新聞社のサイトもその多くが只だ。インターネットの情報は只で手にはいるという意識をうえつけてしまったのは、根本的にビジネスとして失敗という向きもある。これらは結局、広告モデルで、事業として成立している。民間放送と同じだ。民放は情報を只でてにいれられるかわりに広告を見せられる。
しかし、広告とともに忘れてはならないのが、インターネットの発信コストの圧倒的な安さである。一昔前、印刷物しか、文字情報の発信手段がなかったころは、情報の発信には多大な費用が必要だった。紙を対象の人数分手に入れ、組み版を行い、巨大なカメラでの製版、そして安くない印刷機を動かし、できあがってからも、袋に詰めて、発送し、世界一高いという日本の郵送代を支払わなければならない。それがネットでは文字を発信するだけなら、それこそ只である。無料のサイトなどいくらでもある。お金がかかっているのは、サイトをちょっと見やすくすることと、情報の取捨選択、つまり編集作業である。学術雑誌にはピアレビューの過程を含めてもいいかもしれない。レビュー自身は学者間のボランティアであるにせよ、送られてきた論文を整理し、レビュアーに発送し、結果をまとめるのは誰かがどこかで人件費を使わないとできない。
とどのつまり学術雑誌に関しては発信費用が圧倒的に安くなったが、ゼロではない。とすると、オープンアクセスを真に機能させようとすると、どこかで誰かがお金を負担しなければならない。ここにいたって選択されるのは、ひとつは著者負担モデルである。今までは本は読む方が金を払っていたが、今度は書く方から金を徴収しようというわけである。
「金さえだせば掲載するのか」「お金持ちの国の学者しか論文がだせなくなる」という批判はあるにせよ、このモデルは動き出している。有名なのがアメリカのPLoSである。しかし、PLoSも実態は苦しいらしく、昨年(2006)には大幅な投稿料の値上げを行って、物議を醸した。1件2500ドルである。懐の豊かではない学者には厳しい。まして途上国の著者にとっては天文学的な数字だろう。編集をまじめにやればやるほど人件費がかさむが、かといってここを省略するとプレプリントサーバーとかわらなくなってしまう。
ここで期待されているのは、公的機関からの助成金だ。日本でも制度としてある雑誌の発行助成ももちろんだが、個々の研究者や研究プロジェクトに対して研究公開促進助成を行うというものである。これで途上国からの投稿には助成をつけて、投稿費を安くすると言うようなことも可能となる。発表する側個々への助成というわけだ。
さて、ここで政府資金の流れの話となる。雑誌の購読費の暴騰による図書館の危機はよくいわれることで、これに対して、図書館サイドが強く主張してきたのが、オープンアクセスである。オープンアクセスが普及することで、図書館は購読費を大幅に圧縮することができる。しかし、ここで登場するのは、オープンアクセスにするためには、投稿者に対する助成が必要ということだ。そうでなければ上で見たように、学術雑誌は成立しない。結局、読むのに助成が必要なのか書くのに助成が必要なのかということになる。
だが、この比較は実はあまり重要な話ではない。助成での運用ということになると、資金をだしているのは、読むにせよ書くにせよ最終的には政府だからだ。科学全体の発展のために、読むのに資金をだすのか書くのに資金をだすのかどちらが有利かという経済効果の問題となってくる。こうした投資効果といった研究はまだあまりなされていないようだが、オープンアクセスを考える上では重要ではないかな。
(2007.2.12)