NIH方針に大反発

2008/1/4 案の定、STM(INTERNATIONAL ASSOCIATION OF SCIENTIFIC, TECHNICAL and MEDICAL PUBLISHERS)から NIHのオープンアクセス方針について大反発が出ています。東北大学加藤信哉さんからご教示いただいたのですが、http://www.stm-assoc.org/home/にプレスリリースがでています。

STMは学術出版社の連合会ですが、このプレスリリースを読んでいると、今回の法律(NIHのオープンアクセス)は出版社が今まで科学発展に寄与した歴史的役割にまったく配慮しておらず、出版社の成果を補償なし利用するものだと批判しています。

CEOのMabeは「法律には従うが、こうした法律(NIHオープンアクセス)が必要で望ましいものかどうか、活発な議論を継続するだろう」としています。まだまだあきらめていないという感じですね。

しかし今回STMのメンバーリストを見たのですが、すごいですね。ほとんど全部の出版社がはいってますね。HIFはこれと真っ正面からことを構えるわけで、科学出版の世界はどっちへ向かうのか、興味がつきません。

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ついに通過、NIHオープンアクセス

2007年12月27日はオープンアクセスにとって歴史的な日となりましたね。2004年以来紆余曲折のあったNIHのオープンアクセスに関する条項を含むアメリカ合衆国の「2008年労働厚生歳出法案」が通ったのです。これらいろいろ評価もでてくるでしょうが、原本はこちらです。81頁のSec.218です。

訳してみました。

Sec.218 National Institute of Health(以下NIH) の所長はNIHによって助成を受けたすべての研究者が、正式な(論文の)公表日から12ヶ月以内に、NIHのPubMed Centralに出版許可のある査読後最終段階の原稿を投稿することで、公にすることを要求する(Shall require)。
ただし以下の条件がある。:NIHは著作権法と両立する公共利用権政策(Public access policy)を実施すること。

shall require って相当強い表現ですよね。

(07.12.31)

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どこでもグーグル

12/20久しぶりにJ-STAGEの意見交換会に参加。以前は、学会の先生方の出席が多かったが、最近は実務者が多い。そしてメインの話し手は化学会事務局の林和宏氏。とまあ、この話はこちらへおいといて。

実は、表題の件にちょっとびっくりしたのである。J-STAGEへアクセスしてくる元サイトだ。だいたい圧倒的にPubMedだった。あとはCrossRefやJOIリンクがほとんど申し訳のようにあった。それが、今やGoogleが圧倒的なのである。それもこの一年間で、一気にのびている、PubMedが20万件程度でそれほど変わらず推移しているのにくらべ、Googleは。2006年初めにはほとんど0だったのにも関わらず、2007年11月には90万件に達している。これはGoogle Scholarの登場が大きいだろう。

Googleをはじめとした検索エンジンの肝、キーワード検索は表示順をどうするかは大問題である。同じ商品名をもつサイトでも、検索エンジンによって表示された順番が上位であればあるほどそのサイトは訪問してもらいやすいし、ひいては商品も売れる。

これが学者の論文にもちこまれる。Googleの論理で表示順が決定される。これって相当におそろしい。

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オープンアクセスの経済効果

 オープンアクセスとは要するに、「只で雑誌を見させろ」ということだ。インターネット時代になって、情報は只で手にはいることが多くなった。Wikipediaなんて、あれだけの情報が只で提供されているわけだし、新聞社のサイトもその多くが只だ。インターネットの情報は只で手にはいるという意識をうえつけてしまったのは、根本的にビジネスとして失敗という向きもある。これらは結局、広告モデルで、事業として成立している。民間放送と同じだ。民放は情報を只でてにいれられるかわりに広告を見せられる。

 しかし、広告とともに忘れてはならないのが、インターネットの発信コストの圧倒的な安さである。一昔前、印刷物しか、文字情報の発信手段がなかったころは、情報の発信には多大な費用が必要だった。紙を対象の人数分手に入れ、組み版を行い、巨大なカメラでの製版、そして安くない印刷機を動かし、できあがってからも、袋に詰めて、発送し、世界一高いという日本の郵送代を支払わなければならない。それがネットでは文字を発信するだけなら、それこそ只である。無料のサイトなどいくらでもある。お金がかかっているのは、サイトをちょっと見やすくすることと、情報の取捨選択、つまり編集作業である。学術雑誌にはピアレビューの過程を含めてもいいかもしれない。レビュー自身は学者間のボランティアであるにせよ、送られてきた論文を整理し、レビュアーに発送し、結果をまとめるのは誰かがどこかで人件費を使わないとできない。

 とどのつまり学術雑誌に関しては発信費用が圧倒的に安くなったが、ゼロではない。とすると、オープンアクセスを真に機能させようとすると、どこかで誰かがお金を負担しなければならない。ここにいたって選択されるのは、ひとつは著者負担モデルである。今までは本は読む方が金を払っていたが、今度は書く方から金を徴収しようというわけである。

「金さえだせば掲載するのか」「お金持ちの国の学者しか論文がだせなくなる」という批判はあるにせよ、このモデルは動き出している。有名なのがアメリカのPLoSである。しかし、PLoSも実態は苦しいらしく、昨年(2006)には大幅な投稿料の値上げを行って、物議を醸した。1件2500ドルである。懐の豊かではない学者には厳しい。まして途上国の著者にとっては天文学的な数字だろう。編集をまじめにやればやるほど人件費がかさむが、かといってここを省略するとプレプリントサーバーとかわらなくなってしまう。

 ここで期待されているのは、公的機関からの助成金だ。日本でも制度としてある雑誌の発行助成ももちろんだが、個々の研究者や研究プロジェクトに対して研究公開促進助成を行うというものである。これで途上国からの投稿には助成をつけて、投稿費を安くすると言うようなことも可能となる。発表する側個々への助成というわけだ。

 さて、ここで政府資金の流れの話となる。雑誌の購読費の暴騰による図書館の危機はよくいわれることで、これに対して、図書館サイドが強く主張してきたのが、オープンアクセスである。オープンアクセスが普及することで、図書館は購読費を大幅に圧縮することができる。しかし、ここで登場するのは、オープンアクセスにするためには、投稿者に対する助成が必要ということだ。そうでなければ上で見たように、学術雑誌は成立しない。結局、読むのに助成が必要なのか書くのに助成が必要なのかということになる。

 だが、この比較は実はあまり重要な話ではない。助成での運用ということになると、資金をだしているのは、読むにせよ書くにせよ最終的には政府だからだ。科学全体の発展のために、読むのに資金をだすのか書くのに資金をだすのかどちらが有利かという経済効果の問題となってくる。こうした投資効果といった研究はまだあまりなされていないようだが、オープンアクセスを考える上では重要ではないかな。

(2007.2.12)

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背信の科学者たち

OLJとは直接関係がないが、あまりにおもしろかったので、紹介したい。

「背信の科学者たち-論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか」(ウィリアム・ブロード、ニコラス・ウエイド 牧野賢治訳 講談社ブルーバックス)。

原著は20年ぐらいのものだが、日本の状況が20年前のアメリカにそっくりだということがわかる。基本的に著者の主張は科学はかならずしも「アプリオリな真実を解き明かすものではない」ということだ。科学は他の分野と違って、実験という議論の余地がない方法論が基礎になっているから、真実への偽装はおこらないとする思いこみこそが捏造を生んでしまうという。

科学の認知構造はいわゆる「仮説演繹法」であり、それを保証するのが実験だ。実験は再現可能であり、もし嘘をついたとしてもすぐに見破られる。また、論文はピアレビュー(同僚科学者による審査)を通じて検証されるので疑わしいものはその段階で排除され、結果として科学は真実の体系として維持される。このうことを我々は無前提に信じてきた。しかし著書はこれこそが思いこみだという。まず、実験については他の研究者のおこなった実験の追試は滅多におこなわれないということを指摘する。研究とはオリジナリティが大切であり、他の研究者が行った実験を追試しても、評価にはならないからだ。結果として捏造された実験データであっても、それが覆されることは滅多にない。また、ビアレビューも体裁さえ整っていれば、いちいち実験を疑うことはしないし、そもそもあまりに膨大な論文が生産されるので検証などおこなわれない。結果として、捏造や剽窃がまかり通るというわけである。

2005年韓国を揺るがしたヒトES細胞事件のように結果が画期的なものであれば、検証される可能性大きく、事実暴かれたわけだが、そうでないような小さな発見については巧妙な捏造工作が行われればまず発見は不可能という。

では、なぜ科学者は捏造の誘惑に駆られるのだろうか。著者は現在の科学者が真実を求める求道者ではなく、一職業人であるからという。これは現在に限った話ではなく、歴史的にみてもプトレマイオスもガリレイもメンデルも捏造を行った形跡があるという。現在それがめだつのは、科学の世界が圧倒的な競争社会だからだ。有利な就職条件をえるために、新たな研究費を獲得するために、論文の数と評価が必要だからだ。その中で、結果をだせないとき、科学者は捏造の誘惑にかられてしまう。最初はちょっとした恣意的なデータ選択かもしれない。しかし、それが通ってしまったとき、より本格的な捏造へと足をふみだしてしまい、最後には後戻りのできないところにいってしまう。

「欺瞞は科学そのものの中に存在することを認めることによってのみ、科学の本質が理解できる」

重い。

(2007.2.3)

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NIHプロポーザルからコーニン・リーバーマン法案へ

さて2005年に発行したNIH プロポーザルあらためNIHポリシーはどうなったのだろうか。

NIHポリシーは当初プロポーザルの段階では「NIHからファンドを受けた研究は、半年以内に無料でPubMedCentralに載せなければならない」としていたものが、主に出版社からの大反撃を受けて「NIHからファンドを受けた研究は、1年以内に無料でPubMedCentralに載せることを推奨する」となった。牙を抜かれたわけである。これで、1年立って結果がどうだったかといえば、該当する論文の4%しか載らなかったのである。25編に1編。これは完全なNIH の敗北といっていいであろう。無料公開に対して、出版社がいっせいにボイコットしたといってもいいのではないか。出版社にしてみれば長年培ったビジネスモデルを根本的に否定するわけだから、簡単にハイとはいえない。

ただ、政府が金をだしてやらせた研究の結果を見るのに、なぜ海外の出版社にお金を積まなければならないのだというしごくまっとうな感覚は米国議会筋にはくすぶり続けている。

米国共和党上院議員コーニンは民主党のリーバーマンとまさしく超党派の連邦政府研究パブリックアクセス法案を提出した。その方針は「1億ドル以上の研究予算をもつ機関は研究助成の成果である論文を6ケ月以内にオンラインで利用できることを保証せよ」というものだ。NIHのようにPubMed Centralに限らず、当該機関が保持するか他の適切なレポジトリに載せ、無料でアクセスすることを要求している。

もちろん、出版社は猛烈に反発している。

はたしてどうなっていくだろうか。

(2007.2.3)


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ウェブ進化論

梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書 2006.2.10)という本を読んだ。これはもう絶対のおすすめ。特にアマゾンの「なか身!検索」に違和感を感じる向きには、相手側の論理を知る上でも貴重な文献だろう。インターネットの最新情報とそれにもとづくメディアの変化を追った本というのはあまたある。私も、この世界をウォッチするものとして、様々な本を読ませていただいたし、私自身「本は変わる!」という著書の中で、紹介もしてきた。しかし、この本はまったく新しい存在に変わろうとしている現在のインターネット(Web2.0)を提示してくれていて、これはもうメディア関係者は必読だろう。

 いろいろな現象が紹介されているが、私のみるところ、インターネットの玉石混交問題をテクノロジーで乗り切ろうとするグーグルという構図が、著者のもっとも主張したいところではないか。インターネットの玉石混交問題とは、インターネットには誰でも作者となれるという面があるが、それ故にメディアとしては、あまりに質の低い情報つまり石が多く、その中から質の高い情報、「玉」をみいだすのが難しくて実際上使い物にならないというものである。インターネットのメデイアにおけるあまりの破壊的影響力故に、本の作り手が主張してやまない理屈だった。

 本当に役に立つ情報がインターネットでただで手に入れられてしまえば、誰も本など買わなくなる。これは誰でもそう思う。情報それ自体はいくらでも手に入れられるがその中で、正確で有用な情報を選んで、読みやすい形で提示するのが本の作者であり、編集者であり、出版社だと思ってきた。ネット時代となって、携帯電子本のようなものが普及したとしても編集という行為は残るというのが、本の作り手の最後の砦だったはずだ。これがグーグルでかわるという。もちろん「玉石混交問題を解決する糸口がITの成熟によってもたらされつつある」と表現は慎重だが。

 その実例としてWikipediaやオープンソースをあげている。インターネット百科事典Wikipediaの実験の紹介は秀逸。「Wikipediaの記述をわざと誤りに書きかえたところ、わずか数時間で修正された」というものだ。インターネットの情報という石は「個」のネット上の営みが集積されることで玉に磨かれていくということなのだ。そしてそれを保証するのがテクノロジーという割り切り。

うーん。落ち着いて反論すれば、いくらでもできそうな気はするけれど、一本とられたな。というのが今のところの正直な印象ではある。

(2006.2.10)

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カウンタープロジェクト

COUNTER プロジェクト

Counting Online Usage of NetWorked Electronic Resourcesの略である。オンラインジャーナルの利用統計を世界的に標準化しようというこころみで、イギリスを中心に多くの海外学術出版社が参加している。標準サイトはhttp://www.projectcounter.org/である。
オンラインジャーナルに載った論文がどれだけ読まれているかというのは、そのオンラインジャーナルの価格や、その掲載されている論文の学術評価に密接に結びついてくる。論文の評価については、被引用率という指標が有名だが、それ以上にその論文がどれだけ感心をもって読まれたかというのは大きな指標となる。図書館にしても、実際に読まれているまたは読まれる可能性の高い論文の多いオンラインジャーナルを購入しようとするのは当然で、その意味でオンラインジャーナルの利用統計は大きな意味をもっている。

しかし、その利用統計は標準化されてこそ意味がある。雑誌の販売部数が実売部数とかならずしも一致しないのは「よく売れている」ということ自体に宣伝効果があるからである。販売統計を偽って、または偽らないまでもうまく誤解をまねくように表現して、売り上げをよく見せかけることはよくある。オンラインの場合も、利用統計そのものを偽造するのは論外だとしても、統計の取り方次第で誤解をまねくような利用率を出すことは可能だ。同じ人が短期間に2回クリックするのを2回とそのまま数えるとか、実は見られていない失敗のアクセスを数えるとかするだけで統計は大きくかわってしまう。

こうした問題を防ぐために、利用統計を標準化しようというのが、COUNTER PROJECTである。すでに欧米のおもだった出版社はすべて加盟しているといっていい状況で、COUNTER基準にもとづかない統計レポートはあまり価値がなくなってきている。この状況を受けて、2006年から日本のJ-STAGEでもCOUNTER準拠のレポートをだすとしている。

(2006.2.18)

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パーペチュアルアクセス

Perpetual access(永続的接続)である。オンラインジャーナルと紙の本を比べると当然ながら数多くの違いがあるが、こと配布ということに関して決定的に違うのは、一旦所持した情報が永続的に所有できるか否かというところである。

 紙の本や雑誌は一旦購入すれば、その本は永続的にその購入した人が所有でき、図書館も、永遠に閲覧に供することができる。これは古今東西当たり前のことであって、いまさらなにをと言うレベルの話であった。ところが、オンラインになるとそうはいかない。オンラインジャーナルを読む権利は、契約期間のみに発生する。オンラインジャーナルを発行する出版社と契約している間は、膨大なコンテンツを利用することができるが、契約をやめれば一切よめなくなってしまう。発行されたばかりのものどころか過去もみな読めなくなってしまうのである。

 これは契約停止によって読めなくなる場合だが、たとえば、出版社が倒産して、それまでのオンラインジャーナルが皆読めなくなることも考え得るし、倒産にいたらなくても、どこか別の会社に吸収合併されて、公開の方針が根本的にかわってしまうことだってありうる。オンラインジャーナルというのはそういう意味で、永続的には提供が保証されていないのであり、今までの売った以上は情報は所有者の物という慣習が通用しない。

 出版社の側でも、契約期間中に発行されたものは永遠に読めるというようなサービスを提供している場合もある(http://oup1.mcc.ac.uk/faq/for_librarians/perpetual_access.html)が、それでも倒産・合併といった事態には無力である。また、紙の本は500年前の物でも読めるし、それは1000年後でも読めるだろう。しかし、変転の速いコンピュータの世界では500年もの先、そのファイルが読めるという保証がない(古い読めなくなったファイルを未来の考古学者が解読するというSFでもかけそうではある)。

 この問題には、現在のデータを公的機関や非営利財団がアーカイブすることがひとつの解決策と考えられている。私企業につきものの、倒産・合併という危険からデータを救うことが出来るというわけだ。500年先のことを考えて私企業が行動するわけはないので、これはある意味当然のことといえる。オランダ王立図書館(www.kb.nl)のe-depot、米国アンドリューメロン財団のE-journal archiving project(http://www.diglib.org/preserve/introduction.html)などが知られている。

 しかしたとえ、公的機関による保存がなされたとしても、図書館と購読契約を結ぶことで利益をだしたい出版社に対しては、いつどの時点でこうしたアーカイブでの公開を承認するかという問題が残っている。この点ではオープンアクセス運動と似た問題を抱えていることになる。今後まだまだ議論と進展のありそうな分野ではある。

(2005.10.12)

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教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

 オンラインジャーナルとは直接、関係ないが、「教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」翔泳社(ISBN4-7981-0657-7 C3055 \2380)が、おもしろい。オンラインジャーナルがいわばインターネットのエリートとするなら、この本で詳細にたどられた日記サイトから掲示板、ファイル交換ソフトにいたる一連の流れは、表にでてこない日陰の存在である。ファイル交換ソフトのWinnyはどう抗弁したとしても著作権侵害の問題を引きずっているし、巨大掲示板2ちゃんねるの匿名書き込みの名誉毀損や自殺教唆はほめられたものではない。しかしだからこそ、この裏の世界を詳細にたどったこの本はインターネットという新しい媒体に食いついていった人々の営みをつたえていて興味深い。

 オンラインジャーナルがともすれば、官主導の建前の中で七転八倒しているのに比べて、なんと自由で刺激に満ちた世界だろう。私も長年のネット生活の中でこういった世界の末端をかいま見てはいた。しかし、やはり大手の@niftyを活動の場とし、やがてオンラインジャーナルをビジネスとしてしまった私には、近寄りたくとも近寄れない世界ではあった。もちろん、私はこうした裏世界すべてを肯定する気はない。裏は裏であり、健全な社会常識の世界では許されないものだろう。だが、ただ、ただ、羨ましい。インターネットとこういう軽やかに戯れる方向性もあったのだなあということを思ってしまうのだ。

 ともあれ、時々、表にあらわれて、われわれをあわてさせるインターネットの裏社会の意味を知りたい向きには絶好の一冊。

2005/8/10

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